藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“思慮のグラデーション 2”

tohma666.hatenablog.com

 

色んな人と関わってしまったがために、知り合ってしまったが為に、
ま、色んな考え方の人がいますからねー って思うもので。

取り敢えず自分に加害的でなければいいや とは思ってますが。


色んな人、なにかしら『考えてる』んでしょうし、色んな人が考えた結果、それぞれの最善の言動を使って生活してらっしゃるんでしょうけど、その考えの及ぶところがどこまでの領域を持っているか、どこまでの深さを持っているか というのは異なるんですよね。

まして、既存の価値観に伴っての『反応』まで違ったら尚更ですから。

『立場』もどこまでの人の立場を考慮の裁量にしているのか。

利己的な考えを自覚してるかどうかというのも考えられますし。


ま、
私は話ぶりとか言葉のチョイスとか、そういうのから、喋っている人のキャパを勝手に推察してしまったりね。


で、
話が通じるか通じないか ってのもポイントですし。
話が『通じる』というのもどういう解釈のもとにしているかも分かりませんし。
『通じない』人もいますし。
同じ言葉を、共通言語を使ってても通じない人はいますし。


その人との会話を重ねたいな という人と、
あ、アカンわ。 って人もいますし。

会話の中で、何を満たしてほしいか とかね。
ビジネス的な利益を求めてる人とか、感情的な部分での『わかってほしい』を求めてるんだろうな とか。
共感してほしいんだろうな とか、肯定してほしいんだろうな とか。
何も考えてないんだろうな とか。



で、その欲求を直に突いたところで、図星になるとよくないし、
激昂されてもめんどくさいし、
ただの情報の共有を図りたいだけだったのに相手さまの事情で感情をぶつけられてしまうと会話になりませんし、会話したくなくなるし。
つか、会話したくない って間接的に言いたいんでしょ? って感じだし。


どこまで考えてるか、
どこまで分かってるかなんて分からないので、
私もあなた方と同じように私の気分で応じさせて頂こうと努めてまいります。

どこまで分かりたいんでしょうかね。
全部は土台無理ですから。
だから私もそれを諦めていきたいですね。