藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“共通の記号 と思って使っていた言葉。”

note.com

 

の、中の、

『共通の記号が共通でなくなってきた』というくだりについてで、

 

 

共通の記号 というか、共通の話題 というか、
この話を出せば、一般的に話が通じるだろう というモノ。

引用したリンク先記事の例で言うと、『(笑)』って表現を左記の通りで書くか、『ww』って書くか、『草』って書くか。
(『ww』ってのも、“嘲笑” だと捉えて批判的に言葉をぶつけてきた人もいらっしゃいましたが、どういう意味で使っているか の捉え方が違うだけで誤解にもなりますし。)

ドラマ『MIU404』では、青池透子の回で、ツイッターが紹介されてる後半の部分で、
「草」って 言葉が使われてたところがあったけど、あれ、自嘲してる笑 なんだと思うけど、そもそも『草』を『(笑)』って意味で使われてることを前提として知ってないと、意味が通じないのでは? って思いましたし。
まして、字幕放送でなく音声でだけ聞いてると「くさ」という言葉をどう認識するかも難儀なのでは って思いました。

(私は以前、番組の書き起こしとかを書いていたので、その際 聞いた言葉を頭の中で漢字に変換して書いていたのですが、喋っている言葉が何を指し示しているのかを、前提の知識が無いと、何を喋っているのか理解できないのでは… って思うので。)




この言葉を使えば、この話題を使えば通じるだろう って言葉が、話題が 通じないことがある。



別にこのブログでは私の偏ったことを一方的に書いてるだけでアクセス数も乏しいから、そんな配慮とかは考えてないんですけど、
一般向けに? 大衆向けに? 作品を、エンタメを、言葉を使うときに、それが一般常識だと提示できるもの の基準 っていうものが分からないんですよ。


リンク先記事を受けて私がツイートしてることでもあるんですけど、たとえば作品を描く上で、モブとして普通の女子高生を出すとか、小学生、中学生が登場する ってときに、何気ない普段の会話のシーンで何を喋らせることが違和感のない『普通』を表せられるんだろう って思うんですよ。
そこで 引っかかり を感じさせてしまうと、受け手にいらないところで違和感を与えてしまうように思って。

仮に、趣味の話をモブにさせるワケではなかったとして、勉強の話を小学生、中学生、高校生に話させる 普通のシーン を作るときに、
私が現役時に学校で学んだことと、今、義務教育で教えている授業が、覚えるべき学習内容が違ったりしたらそれもおかしくなってしまう。
歴史的な解釈が現代では違うとか、国語の用法の違いとか。


授業についてでさえこう思ってて、趣味の分野になると尚細分化されてるから、何を『普通』とするかなんて分からない。


あー、そういえば前に漫画読んでたときに、
スマホゲームやってるモブキャラのシーンで、ゲームしてたときの漫符 というか効果音に『ピコピコ』って使われてたけど、
スマホゲーしててピコピコは違うのでは… って思ったり。



現代を舞台にした作品、漫画でもドラマでもアニメでもいいけど、現代を舞台にしてるぶん、本当にそれ現代の作品なの?? って感じてしまうことがしばしば。

そこらへんの普通の人がハマってるタレントやらミュージシャンやらユーチューバーやら、そもそもテレビが無い世帯もあるし。
本を読まない人もいるし。

まして昨今のコロナ禍で。
マスクして密を避けることを常としているのに。
作品の中ではマスクもせずに密な状況もあるファンタジー。そりゃ作品だからフィクションには違いないとはいえ。





万人が共通として持っている認識や知識というものを表すこと って難しいな って。
結局 自分が分かることしか、自分の価値観でしか書けないのかな と思ったもので。