思い出しますね。
「これだから男は~」とか言っていた人。
折に触れて思い出してしまうようになってしまいました。
私は呪いにかかってしまいました。
その人は
「なんで~?」とか、
「だって~」とかも言ってましたね。
それ、その接続詞で繋ぎたい言葉の元にはどんな根底の価値観があったんでしょうかね。
いや、推測なんて立てたらまた
「なに勝手なこと言ってんの!!? これだから~」とか
激昂で殺しにくるかもしれませんが。
ところで小学生低学年の子が最近そんなような言葉を頻繁に口にしているのを聞きまして。
まぁ、子供ですから、なんでも疑問に持つんでしょうね。
自分のわからないことに「なんで~?」と言ったり、
(私にとっては)よくわからない理由づけで、
「だってね!」「だってね!」って意見を強調する言葉を続けたり、
優劣の中で自分の優位性や確実性を主張したがる言葉を結んだり。
ところで私も「だって~」って使うときがあるんですけど、
……つか、使わないときは無いというか、使うときは使うんですけど。
言い訳というか自己弁護というか、口を噤んでいじけて言うときに使うというか、
なんていうか、ま、自分を守る為に使う感じですかね。
自分の価値観を守りたいというか。
自分のやってることを証明したいというか。
認めてほしい というか。
その「だって」に結び付けるための根拠みたいなものには、客観的な説得力などはなくて、自分の中にだけ理由があればいいようなものなので、きっと第三者からは屁理屈に映るんだろうな
……という視点込みでの「だって」を使います。
「だって」というのは、『何故ならば』という論拠説明ではなく、弁明です。
自分の正当性を主張し守るためのものです。
……と、今の考えの私はそう思いました。
I think
所詮、『私は』、です。
「なんで~」は、私は最近使ってない気がするんですけど、相手の主張が分かり得ないときに使う感じかなぁ。
納得してないときに使う感覚。
疑問として使っているんではなく、『何故異なる考えを向けられているのか』ということを訊きたいのかな と。
求められる『なんで』の答えも、推察できるけど、たぶん理解とか共感がほしいのかな って思うんですけど
……でもそれも所詮わかった気になってるだけですけどね。
所詮、そう『私は』思っただけ です。
そこに相互理解があるワケでもない。
ただ、感情をぶつけられたくないだけです。