藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『迷走戦士・永田カビ』読了。”

『迷走戦士・永田カビ』を買いました。読みました。

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『レズ風俗~』でおなじみの永田カビ先生の最新エッセイ。

ところで冒頭回でウェディングドレスを着るくだりが描かれてますけど、私もウェディングドレス着てみたいんですよね。
専門的な? 本格的なところでは不可能でしょうけど、いわゆるコスプレとかそういう貸衣装の撮影スタジオとかでは出来ると思うので、着てみたいんですよ。

昨今のコロナ禍のこともあるので あまり出掛けないし、レンタル衣裳とか、もちろん対策は諸々されてることは間違いないことでしょうけど、そういうのこわいので、近いうちにとは言えないけど、いずれ着てみたいですね。

いいですよね、ウェディングドレス。かわいいの着たい。



さておき本編、

永田カビさん本人が本編中で描いておられる通り、私も身近や見聞きした話で、そんなうまいこといってるカップルとかいるんかぇ?? って思ってる派ですし。

マッチングアプリが良いとかいうのも、この本で取り上げられるのとはまた別に、色んなメディアで、それこそ日曜の昼に桂文枝師匠が転ぶやつでなれそめ聞くくだりで
「ネットで出会った」
とか言う人を聞くたびに、私は「そっかー」とか思うんですけど、

私も多分に漏れなく、そもそも人との関わり方が難儀なもので二の足を踏んで石橋を叩き割る方なので、恋愛以前に人との付き合い方ガー… って感じですので、
まぁ、
アレです。



あと後半に孫がいたらとか、ペットがいたらとかいうのもあるけど、それも人によりけりですしね。



ま、第7話のみそ汁のくだりにありましたけど、結局は自分で自分を満たすことが一番なによりですよ。
自分で自分を責めたり罰したりするのが一番よくないですからね。



つか、本書、
web連載ゆえなのか存じませんけども、全体的にコマがデカいですね…。

 

 

 

“選ばれない人 2”

(たぶん 2回目だと思うのでタイトルに “2” を入れた。)

 

note.com

b.hatena.ne.jp

 

ブコメにあったけど、確かに何故 1年前の記事が今頃…)

 

 

 

 

 

 

前に、収入の低さとか肩書きが何も無いこととか、そういう分かりやすいステータスというか、そのような価値観に縛られてるがゆえに、
そういう、所謂 外因で評価されがちな点を持ち合わせていない私は、価値が無い ってことを書いてますけど、

ま、そりゃそうでしょうね っていう。


「これだから男は~」という男性disを定型文にされてた女性がいらっしゃいましたけど、
なのにマッチョ思想ですからね。世間的にも。
や、それが当たり前なんでしょうけど。
(しかし男性disをされていた人には旦那さんがみえますし、以前に別記事で見た気がしますが、粗雑な振る舞いをされる男性には家族がいらっしゃったりしますし。)


まぁ そんな、
収入とか成果を上げて無い人は価値が無い、選ばれない人だ っていう。
前も書きましたけどね。


しょうがないね。
そういうものなんでしょうし。
(じゃあなんで上記に括弧で書いたように、家族いる人もいるんだ って思う部分でもありますが、それはDV彼氏に彼女が尽きないみたいな そんな話なのでしょうかね…)(テキトー。)




私もぼっちですし。

こうやって1人でネットの片隅で虚空に駄文を投じているだけですので。
人と関わるのもしんどいですからね。

ただ、お金だけは欲しいなー って思いますよ。
成果だとか競争だとか ってことよりも、自分の生活の安寧の為に。
安心の為にね。
ずっと健康というワケでもないから、健康管理に使えるお金は要りますもの。



生活さえしていければ、他人との関わりなんて必要最低限で良いですもの。

勿論ね、生活するには色んな人の手が関わってることは知ってるし、言うまでもないことだけど、直接的に関わりたくない って感じですかね。












ほんとは誰かに、安心・安全な人とかに守ってもらいたいんですけどね。
ファンタジーなお姫さま? 大名の正室
そしてたまに1人で何処か飛び出しても「しょうがない方ですね」って言われるだけのさ。
そういう環境だと良いんですけどね。

でも現実は他人や社会の枠組みが助けてくれることは無いし救われることも無いので、1人でどうにかするんですよ。
いやぁ、よく頑張ってますよね私。私すごいよ。偉いよ。

“うまい怒りかた…、”

togetter.com

b.hatena.ne.jp

 

なんというかまぁ…、

tohma666.hatenablog.com

 

感情としての『怒る』を感じている状態のことと、表現としての『怒る』を表出する行為はそもそも別なんですけど、
私は『怒る』ことを感じていても、『怒る』ことを 出す ことはあまりないですからね。
つか、よくもまぁ反射的に怒れますよね。

必要なのは、怒ったほうがいいところでちゃんと怒ることが出来たらいいんでしょうけど、私それ苦手ですからね。


男だから女だからとか、年齢とかも関係ないからね。
そういう枠組みで捉えて言ってくる人はもう要らないですからね。
『心』が備わってるのかどうか存じ上げませんが、勉強してきてください。
色んな『人』に触れてきてほしいですね。

 

(や、私は大学出てないですけどね…。一応 17歳(ぉぃぉぃ)ですし…。)





というか、『怒る』と疲れる ってのもありますし。
怒ったところでー… で? っていうのもあるし。
怒りをぶつけたところで改善が見込めるんですか? ってのもあるし。

『静かに縁を切る』というか、
見限ってしまうのが一番手っ取り早いですし。
しょっちゅう怒る人、そんな人が常時いる環境、居たくないですし。

『他人に期待しない』というか、期待してしまう 浅はかさも持ってしまうからこそ、『期待しない』態度も両立しておくことで深く傷が付くのを防いでるのもありますし。


『一晩寝るとスッキリ』は無いです。
ずーっとモヤモヤします。ずーっとイライラします。
なのでこういうところで表現を変えて書いたり、アナログでノートや紙に書き殴ったりします。



『怒らせると一番厄介』ってのはどうなんでしょうかね。
中二病っぽいですね。
「オレを怒らせるとは…!」みたいな感じですかね。ほんとは怖いんだぞー 的な感じですかね。

厄介 っていうのも、どう厄介かは分かりかねますが、怒りが渦巻いて『呪詛』とか『呪い殺す』とかネチネチネチネチ言ってる私は別の意味で厄介かもしれませんよね。
こいつめんどくせーな って感じでしょうね。



ま、私は気が小さくて臆病ですからね。
イキってる人とかウェイな人に目を付けられないように気を付けながら、
暴力的な感情をぶつけられるような、そんなサンドバッグにならないように気を付けていきたいですね。

人はこわいですからね。
自分より下の人を見つけて感情をぶつけたり、勝手な価値観の思い込みで感情をぶつけたり、周りの傍観者も助けてくれない、無関心を使用なされたり。
人はこわい。

人は恐ろしい生き物ですからね。

直接的に私がそのような目に遭ったら、怒りを表出するどころか何もお返し出来ませんので、取り敢えず丁寧に呪詛を紡ぐことを努めておきますね。

“ゆるく過ごしたい”

 

 

 

もっとゆるく、のんべんだらりと過ごしたいね。

仕事を辞めてみる体験もしたけど、貯蓄が減るばかりで怖さしかなかったです。

でも、毎日フルタイムで働いても、所詮は低所得者層。
なのに仕事では責任だ人手不足だと。無理強いが蔓延る。
休むと収入に直結する。


こういうギリギリの、ヒリヒリした生活から解放されたいですね。
お金に困ることなく、好きなことして過ごしたいですね。

仕事はほどほどにね。
社会的な体裁と社会保険の為に適当に働きつつ。


大前提としてね、余裕がなかったりして、ささくれたものが内面にあるから、攻撃性が出てきてしまうものね。
その土壌があればね。

“『ヒーリングっど♥プリキュア』最終回まで見た上でのあれこれ。”

(というか、その最終回の1話前の回が肝でしたが)


だいたい元気なときなんて無いんですよ。
毎日アンニュイな生活をしているんでね。

メガビョーゲンが知性を持って擬人化したようなものですよ。

地球が住みやすい環境になればいいんですよ。
けど、ナノビョーゲン撒き散らしてあまりに環境が蝕み過ぎると、しんどい感じがつらくなるから、ビョーゲンは撒き散らさないでほしいですね。

 

というか、ただでさえだるいのに、新コロが流行ってから、「だるい」「しんどい」「具合が悪い」って言いにくい感じなんですよ。

風邪や病気でなくても、普通にしんどいのに、しんどい って言うと憚られる感じがありますもの。


ビョーゲンがどうこうというよりも、私の気持ちの問題なんですけどね。

「生きてる って感じ」がするもの、それを受け取る感覚としては、どこか客観的な感覚が私にあるので、あまりに近い距離でその溌剌さを見せられてしまいますと、うッ… ってなってしまいますね。
その『元気良さ』についていけない感じというか。


でも、元気なことはいいことだと思いますよ。
木々や花々が咲き誇ってるのとか、元気に走り回る子供を傍目で見るのはね。

それに『合わせる』ことが出来ないというか。


ナノビョーゲンによって蝕まれてしまったものがあるとするならば、価値観の暴力をぶつけてくるとても元気のいい人たち(比喩) によって、私の気持ちの部分が蝕まれてしまってるんですよ。



まぁ でもね、人によって、「生きてる って感じ」を肯定的に捉える感じ方は異なるので。自分なりの感じ方で「生きてる って感じ」をしみじみと、沁みるように感じ入ることが出来たらいいな と思いますよ。


「だるい」とか「しんどい」とか「具合が悪い」ってのは消えないんですよ。
ヒーリングっバイ できるかはわからないけど、癒されたい気持ちはありますし。

お大事に、すこやかに過ごしたいですよ。

そこは両軸で。


消えない、癒えない痛みもずっとあるんですけど、でも ずっとそれに苦しんで過ごしてるワケじゃあ無い。
「だるい」「しんどい」「具合が悪い」ってのも定期的に訪れる感覚で、決して完全に消えることはないし。だからってずっとその感覚で苦しんでるワケでもないし。

 

 

 

 

そりゃあ治るなら、完全にもとに戻るなら、それに越したことはないんですよ。

tohma666.hatenablog.com

 

キングビョーゲンと戦って勝つとかいうのも大事なんでしょうけど、それに対峙したときに、気持ちの部分で負けない ってことなんでしょうかね。
気持ちの強さは勝ち負けに関係ない とは言うのですが。

病気や症状のしんどさで、『気』のほうまで蝕まれないように、っての、それが「負けないために」ってことなのかしらね。

“罰責 [ばっ‐せき]”

許せないものが増えた。

いちいち小さな矛盾に、小さな言動が引っかかる。
現実ではない、フィクションの作品を見ていても許せないものが増えてしまった。


ずっと思っているのは、
 ご自身が仰っていることを他人に強いておられるのに、自身はそれを守らず放埓である
……という点で。

他人に対しては偉そうに高みの見物で安全圏からモノを申しながら、ご自身はただふんぞり返っておられるだけ。
強権的、高圧的な人、またその傘の下に隠れている人。


私は現実でもフィクションでもそういう存在に対して『反応』するようになってしまい、そういう人が無残で凄惨な死を遂げるか、永劫の苦しみを味わって下さらないと気分が晴れない。

さて、何故『反応』してしまうようになったのか、
何故、いちいち腹を立ててしまうようになってしまったか というと、矢張りそういう人から理不尽な言動を受けてきたがゆえ であると私は思っており。

そういう物言いをなさる方々が跋扈しておられる限り、罰を与え、責めて責めて責め抜いて自責の念が芽生えて自己嫌悪を重ねて自然と息絶えるまで観念を破壊したいほどに思うものです。

もう一つ、高圧的な振る舞いをなさる方が息絶えるほかに、私がそれを許せるときがくるとすれば、
私自身が、高圧的な振る舞いを誰かに屠ることで救われることはあるのかもしれませんね。

早い話が、自分がやられてイヤだったことを他人にやって、憂さ晴らしする というやつですね。
そうしたらスッキリするかもしれませんね。
但し、それを受けた人は新たな呪いを受けることとなり、また別の誰かに同様の振る舞いをしてしまうかもしれませんが。



高圧的な物言いにより、抑圧された感情、
抑圧され、さまざまな方向から「かくあるべき」の価値観を感情論で頭ごなしに吹っ掛けてこられ、
萎縮に萎縮を重ねて収縮してしまった意思は、その 逆 の、
『やってはいけないことをやる』ことで、抑圧は解放されるかもしれませんね。

誰かが被害をかぶるのかもしれませんが、
「だって~」と、かの人みたいに言い訳の固定観念でも使えば良い話ですよね?

「だって」「だって」と、子供じみた自己弁護を繰り返し、
「だって○○のせいだもん」と。
自分は悪くない、

正義 だと、自分を守り続けていれば、
いつまでも責める立場でいられますもの。


許せないものを許さず、自分は抑圧された感情を解放し、『やってはいけない』とされることを やれば、
とても腫れ腫れしく過ごせるでしょうか。

“共感を寄せたい立場とか、”

 

 

 

フォレストさんが叩かれ過ぎだとか、いやいや明らかにおかしいから辞任は当然とか色々ありますけど、
一方的な、主観的な価値観で言い放ってボコボコにしても良い というのは世間様は許してるんじゃないんですか? そういう姿を見せてる大人さまの姿を多くお見受けしますし、そういう人の存在を許しておいでではないのですか?

逆に、なんか盛り上がってるほう ではない側になんとなく冷めた目で見てしまう感じ というのもあるし。

本当に誰のことを想ってその言動を採っているんでしょうか。

 

や、フォレストさんの話だけじゃないんですけどね。

(私のツイートも、その件のことについてじゃあ無いので。)


触れた情報の『それ』に対して、どう思うか、どう反応するかはその人が持ってる固定観念に依るんですけど、それに自覚して反応してるんでしょうかね。

男女の違いの批判でも、老害とかいってdisるにしても。
それを批判したい意思として、「だって~」とするのなら、どういった情報収集をそれまでの人生で積み重ねてきたのか って話ですからね。

一方で、他者を慮るばかりではなく、主観的な主張をすることを構わない、むしろそれこそが『是』であるという風潮もありますし。

他者視点ばかりを持つ人が、主観的になってみることも大事だよ ということは言えるし、主観的にばかりなる人が、もっと他者視点で見ることも大事だよ ということも言えるのですが、今までのものの見方を変えることは容易ではなく、
結局何も変わらない視点の持ち方、価値観の抱き方を継続され、特に改善することもないというね。

ま、
改善する必要も無いんでしょうけどね。
改善したい人は自分で改善するし、改善する必要が無いと思ってる人はそのまま強権的に大きな声で他者を屠るだけですのでね。



ところでフォレストさんの会見を実はリアタイしてチラッと見てたんですが、真っ白い壁を背景に1人立って、マスコミの皆さんが質問を投げかけるのですが、どっちも微妙な態度 / 物言いをされておられたので、どっちも微妙なことだなと思いチャンネルを変えました。


いったい何を大切にしたいのか、何を主張したいのか、傍観者はどこに心情を重ねたいのか。それを批判したい理由はどこにあるのか。

そこまで考えることなく、サンドバッグが欲しいのかもしれませんし、
考える必要性はそもそもなく、そのように反応した、反応したいことが全てだというのなら、それでいいんじゃないですか。