藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“毎日遺書を書く。 2”

tohma666.hatenablog.com

 

どうせ死ぬ、
明日死ぬ、明後日死ぬ、
一週間後に死ぬ、1か月後に死ぬ、
1年後にはもうこの世にはいないかもしれない。


誰の耳にも届かない叫び声は大きな声を上げて楽しそうに暮らす人たちの声にかき消されて。
よかったね貴方たちは幸せそうで。
良かったね、良かった。
私の犠牲の上に桃源郷は美しく咲く。

みんなが幸せで良かった。
その『みんな』の中に私はいないけど。
私がいたら不幸になるものね、関わらないように気を付けるわ。

なにかしらの難癖を御申しつけ頂きまして、
みなさん大好きな排除の心得に則り。

いじめはよくないよみんななかよくね と言いながら、
仲良くない人を『みんな』に含まずに仲良くする。

イヤな人はいなかったことに、なかったことに。

さようなら
さようなら?
誰に向けたさようなら? 誰もいないのに。

毎日の言葉がしたためられた遺書の束。
どうしてどうしてうまく生きられなかったのか。

どうしてお金持ちじゃなかったのか
どうして権力者の家柄じゃなかったのか
どうして気が強く生まれられなかったのか
どうして暴力的な力が強くなかったのか
どうしてもっと強い言葉で大きな声で話せなかったのか
どうして健常者じゃなかったのか

どうしてもっと弱者の傘を手に入れてうまく被害者になれなかったのか

しょうがないね、
自己責任だもの。

自分の命の責任くらいは自分で採るから大丈夫だよ。
死体の始末は出来ないけど命の始末くらいは出来る。
命を始末することは出来る。
命を処分することは出来る。

大丈夫、それでも社会は正しく回る。

命が大事だから少数の命よりも、大勢で、多くの、より強い遺伝子情報が残った方が結果的には利益にもなる。

弱い命は社会から間引いてしまえばいいのでしょ?

美味しい果実が実るために、樹木が大きく豊かに育つように。
人も、同じく。

適当に死んでおいた方が都合がいいらしいよ。
だから死ぬことは社会に役に立つ。
良かったね。

脆弱な私が死ぬことできっと呼吸しやすくなるのでしょう。
良かったね。