藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“糧”

連日ネガティブなことを意図して書いてますけど、言ってしまえば未だに未だに過去に殺され続けたり、周りに殺され続けたり、
そこから抜け出せない私自身に対する苛立ちもあるのです。

が、

それゆえに、そういうなんともならない部分を払って、祓って、毎日をやっていかんといかんなぁ とも思うもので。

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(愛理のインスタから画像引用)


私が私を肯定するのは私の為で。

日々の憂いから人を怨むようなことばかり念じてしまうんですけど、そんなことを非生産的なことだってわかってるし、わかってるけど怨まずにいられない っていう心境のときが多いんだけれど、
そう思ってしまうときがとても多いのは間違いないのだけど。

でも、当然そうも言ってられない って心境も同時にあって。

ほんといつまで他人に苦しめられなければならないのかと。
や、
他人を持ち込んでしまって自分を苦しめてしまうのかと。

不快な外部の音が入ってきたり視界に入ってきたりして、それが気になって気を取られて私を奪われてしまう。翻弄されてしまう。
鈍感な暴力に、粗暴な振る舞いに侵されてしまう。



神様が試練を与えてくれたとか、正直そんなことは要らない。

試練とかじゃない、ただ、たまたまこの巡り合いになったという事実だけ。
乗り越えるというか、対処方というか、
かわして、流して往くだけ。




今、この立ち位置にたまたま居るという、この場所に居るというだけで、別にこの場に執着する自由もさっさと切り捨てる自由も私にはある というだけ。

いざとなったらド派手な自殺でもしてやればいい。
いざとなったらしっかり怨念を込めて呪殺すればいい。


大切なものを大切にして、
私に心地よさを与えてくれないものは捨てるだけ。
何をどう選んで遂行するかは私次第。


そう、私主体で。
私主体で他者を選ぶ。他者を採る。

過去を、昨日をどうにかやってこれた私を労って、また今日を紡ぐ。