藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“生きる機会の均等性を”

tohma666.hatenablog.com

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出来ない人が生きやすい世の中になるように みたいなことはよく言われてるんですけど、出来てしまう人にも適切な見返り… 見返りという表現は合ってない感じがしますけど、正当な評価というか… 相応の対応があってほしいですね。


鈍感な人は鈍感なんだから敏感に反応してしまう人はそれを分かってあげてね
…なんて言われたとして、じゃあ、
敏感な人は小さな事象にも反応してしまうから鈍感な人は分かってあげてね
…って鈍感な人は分かってくれるんでしょうかね。

鈍感さを免罪符(そもそも免罪符などとは思ってない)に気付かないことは普通で、
気になってしまう人は気になってしまって、意図してスルーすることで罪悪感すら感じてしまうのに、
感じてしまうことすらも「そのように感じなければよい」と言うのならば、それは感性を否定してるということを、言った人は分かってるんでしょうか。

まぁ、分かってないんでしょうけど、


あらゆる人が生きることを許されてる世界というのは、欠陥も過剰も容認されていることですよ?
誰もが均一的なスキルや性格のパラメータを持ってるワケではありませんのでね。


欠陥に対応する過剰も、過剰に対応できる柔軟性を持った人も、というか、個人に依存し過ぎると個人は疲弊しますよ。


誰もが強いばかりじゃない。誰もが弱いばかりでもない。
そして、何を強いと、弱いと 思ってるかの価値観の違いもある。

で、人と比べてアイツよりマシだ と留飲を下げるだけ。


声を上げないと殺される
声を上げても殺される

公共性が掬ってくれないといけない部分もあるんですけどね。
そもそもの認識から改めていかないといけない部分はあるのに、いつまでも元々の価値観のままで、
事象に『反応』してる下地の価値観に気付かないままで。

結局鈍感な強い人ばかりが生き残ることを社会は許してるだけでしょう。
いつだって奪うことばかりを考えているのでしょう。


金を奪い、心を奪い、生きることを抉り削ろうとする人たち、
とてもおそろしい限りです。
あなた方の無自覚な狂暴性には。