藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“気付くか、気にするとかしないとかの話な”

 

繊細だとか鈍感だとかいう話にも繋がってくるんですけど、
気付かない人は気付かないし、知らない人は知らないし、
どれだけ情報が開示されててもそれを読まない見ない人は知らないままだし、
文章そのままでしか理解できない人もいるし、文章から何を言わんとしているか読み取れる人もいるし、その読み取り方でも齟齬が生じることもあるし、
(これは過去ブログで何度か書いてるけど)

気付いた人がやればいい って思ってると、よく気付く人がどうにかしなきゃと思い過ぎてしまうパターンもあるし、なんであの人は気付かないんだろう もしかして悪意あってスルーしてるのかな、とか思うこともあるし、
実際にわざと無視してるときもあるし、気付かない人は悪意もなくガチで気付いてない人もいるし、それを気付く人が勝手に悪意だと思ってしまうこともあるし、

気付いてやってあげればいい っていう、気付いて→やる っていう基準も、どの状態がどうなったら手を出した方がいいのか っていう裁量も人によって異なるので、気付く人同士で勝手に穿ってしまうこともあるし、

気付く人であっても、あまりに体調が優れなくて注意力とか、そんな構ってられないメンタルを実は抱えてる って状態もあるし、

気付かない人がどこまでのパターンを推察してるのか分かってるのか、分かってない人もいるし、


というか何度も書いてるけど、理解には深さがあって、状況を読み取れる人と、読み取って→動く までの間に時間を要する人もいるし、
気付いて自分でやる人と、文句言う人と、他人にやらせる人もいるし、黙ったまま溜め込んで爆発する人もいるし、黙っておいてヤバくなったときに責める人もいるし、


(そもそも誰かから何か言われること(主に否定的な意味で)なんて特に求めてないのに、いちいち人に何か言いたいのもなんだろう って思うんですが、それは主旨違いですかね)


で、
鈍感なのが羨ましい と前にも書いてるけど、繊細は繊細でめんどくせぇ と思われるのもめんどくせぇですし、鈍感は繊細になれないし、逆もまた然りだったりするし、
その感度にもグラデーションはあるし。

一つ言えるのは、「気付いた人がやればいい」は何の解決にもならない というだけです。