新卒でヤバいのは入社した時点で「いかに叱られずに仕事をこなせるか」を基準にしてる子。
— 目玉P (@medamap) 2020年3月16日
こういう子は理不尽に叱られすぎてすでに壊れてるので、普通に使えるようにする前に失敗しても大丈夫とか色々修正してあげないといけない。
私も 怒られるのがこわいので、常に怒られないように意識して生きてます。
— 藤麻無有彌。'20 (@tohma6u3) 2020年3月18日
無自覚にやっていた、“怒られないようにしよう” という言動の源泉を / 動機を、
最近意識して改めて、『怒られないようにしようと思いながら動いてるなー』と意識してやってます。
『言葉ダイエット』を読んだ。一番良かったのは「回りくどい文章を書く人は、仕事よりも自分が嫌われないことを優先している」という看破だった。
— ニンパイ (@shinobuk) 2020年2月21日
何をするにしても「嫌われたくない」という自己中心的な思いを優先するとおかしなことになるのだ。
何をやっても怒る人は怒る。
どこに逆鱗があるかは分からない。
で、
その人がどこに逆鱗があるのか、どこにこだわっていてどこに触れられると怒るのか、ということを踏まえて動きます。
じゃあ関わらないようにしよう。そこに距離を置こう と考えたり。
自分が感じていることと、他人が感じていることは差異がある。
…というのもある。
私が不快に思うことでも他人はそうは思わないかもしれないし、同じように不快に思うとしても、私と同じレベルで不快に思ってるかどうかは分からない。
嬉しいポイントも違うかもしれない。
相手の為だと思っての善意のつもりの行動でもそうじゃないこともある。
怒られないようにしよう と思って行動を採ったのに怒られることもきっとある。
でも、
怒られると怯んでしまうから、体が動かなくなってしまうから、口が動かなくなってしまうから、普通に喋れなくなってしまうから、怒られたくない。
私が、主体的に、怒られないようにしよう と思って、周りの人や状況を読んで動いてるのは、私が普通に活動する為に。
それでも怒ってくる人はいる。
人の土俵に土足で上がりこんでくる人もいる。
自分の満足の為に他人を使いたい人もいる。
けど、他人とは助け合っていかないと生きていけないでしょう? というのは承知の上で。
怒られることに脅えながら助けを求める。
拒絶されることを不安に感じながらも声をかける。
けど アイデンティティや尊厳を踏み躙ってくるような人に対しても関わりたいかというとそうでもない。
心の中は自由でありたい。
怒られないようにしようとしている主体的選択を採っているのは私だから、最善を計ろうとしている自分くらいは責めずにしてやりたい。
先回りして、怒られないようにしようと努めているのだから とても疲れてしまうのは自明なので。
そのぶん しっかり私を労ってあげること。