藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“他人に心は無い。私に心はある。(仮)”

最近あまりにも疲弊するので、ひょっとして人に心というものは備わってないのでは…、などと思っていたもので、

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こんなことも書いたんですけど。

 

何度もここのところ繰り返し書いてますけど、如何に他人のことに私の心を煩わせないか ということに考えを巡らせていてですね。

tohma666.hatenablog.com

あまりにも考えてばかりいるから、

『そもそも人に “心” というものが無いのではないか』
『人に “心” があるという考え自体が間違いなのではないか』
などと考えていたり。

 

 

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ロボットに対して『心がある』と 思 っ て し ま う のと同じように。
他人に対しても、自分と同じ心があると思ってしまっているんじゃないかと。

ゼロワンでも、ヒューマギアに対して特異点を迎えただの心が あ る か の よ う に 感じられる成長ぶりを垣間見られることがあるけれど。

自分という主観にとって、他人という第三者に『心がある』か、なんてのは判断つかないのではないか。
(石黒先生の言葉と視点が逆になっているやもですけど。)





他人に心が無いのでは、って視点で考えてみたりもしたけど、でも私としては悲しいこともあれば嬉しいこともあれば腹の立つこともあるワケで。

そう感じることは私には心があるんですよ。

け、ど、
他人は 知 ら な い 。

何故なら、同じ出来事を見聞しても / 受け取っても、私のように思わない人もいるからで。
私にとって不快な、粗暴で高圧的な振る舞いをわざわざする人がいるということは、私と同じ感じ方をしてない というワケですからね。
その時点で私とは異なるものですし。

他人に私と同じように感じる心がある …と決めつけてしまうのは違うのではないかと。
私がそう感じるから他人もそう感じるだろう …なんてのは違うのでは と。


だ、け、ど、
勝手に何か私には得体の知れない逆鱗に触れたのか、勝手に怒ってくる人もいたもので。勝手な勘違いや思い違いで怒ってくる人もいたので。
理由がさっぱりわからずに高圧的に絡んできた人がいたもので。

そういう人は、私視点での『心がある』のではなくて、
なんか知らんけど勝手に『反応』『反射』してるだけなのでは、と。


そいつらに、私視点での『心は無い』。

私の思う、心を備えた人間では無い のでは。
同じ人だと思わなくて良いのでは。



(仮) ですけどね。


人の心の中を推察するのは不毛。
ついつい、ね、私を守る為に、他人が何を求めているのかを察してしまうのが癖になってしまってるんですけど。

他人の心なんて知らない。

私は私の心を大事にする。私の感受性をそれだけを。取り敢えず。

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