藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“この社会の片隅で。”

タイトルに意味は無いです。

ブログを一新したので全然アクセス数が伸びないので投稿日時をいじり放題ですよ。
スマホからもたまに書くんですけど、やっぱりパソからキーボード叩いてるほうが書きやすいので書く機会が限られてしまうんですよね。

さておき。

毎日仕事と家の往復運動を繰り返すばかりで特に何もない無味乾燥な毎日を送っているワケですよ。
乾いてますよ。
心も肌も。

相も変わらずうまく生きれないし、人の目線を気にして怯えながら過ごす日々。
人は人に興味が無いけど、人の情報だけは知りたがって、それをワイドショーのゴシップよろしく話のネタにしてそれをまた人に話していく。
興味があるのは人では無い、おもしろがれるタネ だ。

私は誰かにおもしろがって欲しくは無い。
爆笑問題の太田さんが「笑わせることと 笑われること」の違いについてどこかで言ってたような気がしたけど忘れた。



そうやって人には興味も無いはずだけど、自分が被害をこうむったりなど、勝手な勘違い思い違いで恥をかかされた思いなどと、受けた側が勝手に思ったときには全力で攻撃してくる、いや、全力ではないのかもしれないけど、少なくとも私はそうやって感情をぶつけられるのが嫌いだ。大嫌いだ。

そんなヤツが平然と笑顔で誰かと笑って過ごしてるのかと思うと反吐が出る。


けど所詮人生はそんなもんだ と言ってしまえばそんなもんなのかもしれない。

此処は安全でどんな言葉をも吐き出していいのですよ。
と、提示された、解放された “場” みたいなものもあったけど、結局そこでも居場所はなかった。
救われることはなかった。


誰かが私を救い受け止めてくれることなんてあり得ないのだ。
みんな自分を分かってほしい人ばかりで他人を私を蹂躙し続けるばかりなのだ。

とても苦しい。。。

だけど誰かがどうにかしてくれるワケでもない。
誰かを頼るなんてのは不毛極まりない。
“誰か” は殺しにやってくる。


そしてひっそりと生きているのに、息絶えた姿を見ては、見つけては、
「かわいそう」「かわいそう」
と嘆くのだ。

未然に防ぐ手立てを無視して。
「知らなかった」と。
知ろうともしなかったのにね。
開示されてる情報を読もうとも見ようとも知ろうともせずに思い込みだけで世界を見てる。
思い込みで気に入らないと判断した人を排除する。


人はこわい。おそろしい。
こわいと自覚してない人が多く跋扈してるこの社会がおそろしい。

こわい。