藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“[被害者感情]「妨害されたと感じた」”

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www.sankei.com

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昼にニュースを流しっぱなしにしてて、この部分が引っかかったので。


あおり運転のニュースは捕まる前とかは殴ったり恫喝してるであろう映像を見るのがこわくてスルーしてたんだけど、捕まってから、で、ニュースでこの部分が報じられてから 引っかかるものを感じたので そこを中心に書こうかな と。




自分の中での正義の正当性があるから、攻撃をする、暴力を振るう って言うけど、その『正義を行使したい』理由に、『自分が被害をこうむったから』ってのがあって。
で、実際に被害を受けていなくても(この表現微妙だけど)“被害を受けたと感じた” から、自分の被害感情に正当性を与えて、恫喝なり暴力なり奮う。
過剰防衛が過ぎるんですけどね。
やられたであろう以上のことをやり返す っていう。

 

 



たとえば私は、集団の人とかこわいし、ウェーイしてるような集団とかこわいのよ。
声がデカい人たちとかね。
昔そういうリア充な人たちにやられたりしたこともあって。

だから今でもそういう集団を見かけたり擦れ違うと身構えるんですよ。
「この人たちは私に攻撃をしてくる存在だ」って。そう感じてしまう。
その人たちが私になにか攻撃なりしてこなくても、大きな声でただその人たちが身内で盛り上がってるだけでも、私が攻められたように、責められたように感じるのよ。


だから攻撃されたくないから、攻撃されたような感じがしたときに、自分から攻撃してしまいたい。
……っていう気持ちは分からなくは無いのよ。



分からなくは無いよ。やらないけど。
つか、私は怒鳴るの苦手だから出来ないけどな。
怒鳴ってみても相手の方が声がデカいと無理だし。
だから暴力になるかもしれないね。でも暴力の方がおおごとにされるから出来ないけどね。



ま、ついこの前も私が横断歩道歩いてたら、横から来た車が赤信号なのにギリギリまで来て止まって、運転してたヤツと同乗してたヤツがニヤニヤと私を見てる ってのを体験したんですけど、そういうのも、『被害に遭った』かといえば遭ってないんですよ。
きっと第三者視点では『被害に遭ったと感じた』って案件で。

それに対して恫喝(前述した通り出来ないでしょうし、相手が人数多い)を私がしたとしても無理でしょうし。実際に被害に遭ってないのに暴力的な行為を私が返したらいけませんよねぇ。私がお縄になりますから。



こういうことも重なって、ウェーイしてるようなヤツらを見かけると身構えて、先に攻撃してしまいたい感情が湧くんですよ。





私は攻撃されたくない。
でも、なんの因果もなくとも攻撃してくるヤツはいる。

こっちは何の抵抗も出来ない。

ま、『抵抗』する必要があるのか? ってトコでもあるんですけどね。
復讐は根深いから、誰かにされたことを 似た誰かに憤怒をぶつけて、そしてまた別の似た人に怒りをぶつけて続いていくから。
被害に遭った(と感じた だけであっても)感情は自分の中で正当性が重なり増していって、攻撃してもいいもの ってなるから。



今のとこはここまでで。
そういう感情は誰しも私にもあるから っていう。




(じゃあ『被害に遭った(と感じた)』感情はどうしたらいいのか っていうと、それはまだ私も処しきれないので、なるべくオフの場で話せる人に愚痴るくらいですかねぇ。ちゃんと自分で自分の感情をほどいて。)
(最近なんでもSNSに書けばいいものでも無いな って思ってますので。)