昔読んだ本に「人は怒りを捏造する。丁寧な言葉で論理的に相手を説得する手順を面倒だと感じ、無抵抗な相手に対してより安直な手段で屈服させようとする。その手段として、怒りを"出し入れ可能な道具"として使う」と書いてあるのを読んで、尋常ならざる洞察に富んだ考え方だなと唸った記憶がある。
— みのん (@min0nmin0n) 2021年6月14日
子どもが怒鳴ってきた時に冷静に淡々と「怒鳴ったからって言うことは聞かないよ」と答えたことがある。その子はキョトンとして怒鳴るのをやめた。なぜ僕は子どもに怒ってしまうのだろうって考えたら同じで、最終的には言うことを聞かせられると思っていたからなんだ。それに気づいて怒るのが減ったな。
— きしもとたかひろ (@1kani1dai) 2021年6月12日
怒鳴る子への対応の仕方ではなく、自分が子どもに怒ることについて振り返るきっかけになったっていう意図のツイートです。相手をコントロールできると思っているんじゃないかと気づいたことで、子どもや相手に対して怒るのが減ったという話です。分かりにくい文章になっていてすみません。
— きしもとたかひろ (@1kani1dai) 2021年6月14日
ここ最近、息子が暴れるようになってきて。ついさっきも暴れてたんだ。どうしてこうもすぐ暴れるのか不思議で、ふと「最近暴れていいことあった?」って聞いたら「お父さんが意見を通してくれた」って。泣きたい。
— まっん (@cyacomokuku) 2021年6月20日
バナナマン設楽の名言
— わかめ (@senseiwakame) 2021年6月19日
『怒る人は引き出しが少ない人』 pic.twitter.com/NJSJj1eI3d
怒らなきゃわかってくれない人に怒ったらわかってくれる可能性、あんまり高くない。「この人とは関係の毀損を覚悟してもきちんと怒る関係でありたい」って人以外に怒る必要、あまりない。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年6月22日
「怒りの感情を上手にパフォーマンスとして使う」とかはまた別の話になりますが。相手に向かって「怒る」っていうのは所詮「わかってください」って気持ちを勢いよく出してるだけなので、相手が大事な人でもなく本当にムカつく相手なら別の選択肢の方がスマートになりがちですね。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年6月22日
「きちんと怒ろう、なるべくたくさんの人を人間扱いしよう」みたいなルール、最近わりと「もういいや」になった。わかりたくない人はわかりたくないからわからないんだし、その尊厳は大事にしてあげたいよね。
— 借金玉 (@syakkin_dama) 2021年6月22日
知識を増やすと『怒り』が減ります。
— たかみ@文章好きなハッピー作家 (@takamifreedom) 2021年6月20日
ファミレスで料理が遅かったりしても、実際に現場で働いたことがあると『お昼のピークは激戦だから仕方ないよね』とか『急にバイトが休んだのかな?』と怒りを理解へと変えることができます。
思考や知識が深いと余裕ができます。余裕のある人は超魅力的ですよ!
ツイッターで気になった、怒りについてのツイートをまとめて引用させて頂きました。
(…まとめブログかよ)
私が、怒りをぶつけてくる人 に対しての嫌悪感があるのでこちらを留めさせて頂いたのですが、
敢えてそれを表明する ということは、私の中にこれまでに色んな人から理不尽に怒りをぶつけられたことへの恨みつらみ憎しみがございまして、つまり、私の中に 怒り が在るからです。
ゆえに、
私が怒りを抱えているがために、私がぶつけていい人だと判断した人に怒りをぶつけてしまいかねない懸念がございます。
が、
今まで私にぶつけて来られた人は、当方にとって理不尽、つまり、ぶつけてきた人にとっての勝手な都合や理由があってぶつけてこられたワケですので、
即ち、
私が無関係にぶつけていい人だと判断した人に、怒りをぶつけるなり責め立てるなりしても良い ということですよね?
呪詛を継承する許可を与え続ける為に怒りをぶつけ責め立てる。
主観的見地を容認するというのなら、そういうことですよね?
勿論、しっかり皮肉を込めてるだけですので、
そうならないように自制することを努めるばかりです。
その為の引用ですので。
連続して淡々と書いてますけど、私の底に溜まった澱がまだ淀んでるので、大変申し訳ございませんがまだまだ汚泥が溢れます。