アンガーマネジメント、何回か講習受けてるけど、あれ「瞬間的に爆発しそうな怒りに対して」な気がしてしゃあない。少なくとも私にとっては「叫び散らす程ではないがしばらく心のなかに残り続ける怒り」は6秒以上我慢しても消えてくれないʕ´• ᴥ•̥`ʔ
— 事案の金澤おみこは入籍しました (@0m1k0) 2021年3月26日
演技的な観点からいえば、怒りには反射的な怒りと蓄積したものがあるのですがアンガーマネジメントは反射的な怒りを散らすという形で変化させるものなので、蓄積させた怒りはどう変化するかというと仕舞い込まれて憎しみに変化するんですね。 https://t.co/bCVeRfiiul
— 星野貴紀 (@Shockhearts777) 2021年3月27日
これはまさにその通り。一週間以上継続的に続く怒りを「恨み」とすると定義している本を見かけたことがあるのだけど、アンガーマネジメントは恨みには対応できていないと思う。恨みの手放し方を必要としている人は多い。 https://t.co/0qR0Gvaw0l
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2021年3月26日
恨みの話になると「自分は恨みを手放したくない。一生抱えて恨み続けていくと決めている」と語る人が必ず出てくる。別にそれでいいのだと思う。疲れるだろうけど。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2021年3月26日
「感情貯金」の話とかがそうなんだよね。恨みというものの捉え方、対処の仕方について触れている。恨みを持ち続けることで自分にとってプラスになることって多分何もない。タバコや覚せい剤のように一時的快楽もない。でもそこに執着したくなる。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2021年3月26日
「恨みを手放す」というのは、「相手から傷つけられ、奪われたものを、(相手から)取り返そうとするのを放棄する、損切りする」ってことなのだよな。いつまでも相手から取り返そうとしている限り、その相手が自分の頭の中に住み着く。 https://t.co/qx0hkytGNz
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2021年3月27日
いくら相手を恨んでも、その相手からこちらが満足するような謝罪があったり、償いがあったりすることはめったにない。その結果、相手個人を超えて似た属性を持つ他の人に恨みの対象を広げ、そこから自分がかつて奪われたものを取り返そうとし始めるケースもよくある。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2021年3月27日
ぼくが常々「怒りの対象を間違えてはいけない」と言ってるのはこのポイントで、ここで自分の過去の恨みの対象から取り返したかったものを、その相手以外の人から取り返しに行く心の動きが出始めてしまうと、「思考と行動が複雑で予測がつかず、攻撃的になりやすい難しい人」になっていく。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2021年3月27日
どんなにその人の過去において、ある特定の相手からひどい目にあわされたとしても、その怒りや恨みを他の人に向け始めた時点で、その人の振る舞いは理不尽で子供じみたものとみなされるようになる。ここはとても重要。怒りの向け先を間違わなければ、こういう風に思われずにすむ。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2021年3月27日
それこそミソジニー(女性嫌悪)・ミサンドリー(男性嫌悪)みたいなのって、この怒りの向け先を間違えた雑な怒りなんだよ。だから、ぼくはそれらを拒絶するし、それと出会ったときには「本当にあなたが恨んでいる相手をきちんと特定して、その人に怒りを向けなさい」と言うようにしている。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2021年3月27日
相手から奪われたものを取り返すことを放棄するためには、今の自分がある程度恵まれていて、他の人たちから十分に受け取っていると感じられる必要がある。心の世界も「金持ち喧嘩せず」である。恨みを捨てようと頑張るより、仲のいい人と楽しく過ごす時間を増やすのが大事https://t.co/QbAkAZIHdy
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2021年3月27日
結局、関わると恨みを持たずにはいられないような相手とは無理に関わらないのが一番なのである。過去にうけてきた恨みが大きすぎて、新たな人と関わると自動的にその人たち全員に恨みを向けてしまう状況までいってしまうと、孤独に生きていくしかなくなる。そうなったら救える人は誰もいない。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2021年3月27日
それが「恨みをベースに生きていく人生」ということなんだと思う。もうそうなったら仕方ないもんね。それでも人生は続くので何とかやっていくしかない。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2021年3月27日
恨みをベースに生きていく人生を送っている人には近寄りすぎないようにして適切な距離感を保っておく方がいい。近寄りすぎると向け先を間違えた怒りを向けられ、最終的にはたいてい恨まれる。いいことがない。
— めんたね(やさしい) (@mentane) 2021年3月27日
瞬間湯沸かし器のように反射的に怒ることが出来ない私。
おそらく過去になにか傷ついたであろう人から反射的に、おそらく類推する価値観か観念かに反応したのか、
それともそのときたまたま何か気分を害したのか、タイミングが悪かったのか、
反射的に強い感情をぶつけられ、
私は反射的に感情を表出することが出来ないので、怨念が積もり、
そして似たような人の言動に、怨みを重ねてしまうも、反射的に発散することが出来ないので、そのときに言い返せないので、
ただひたすらに言えなかったことが、怨念ばかりが溜まり、人と関わることが難儀になる私。
そして私自身がきっと、“近寄り難い存在” になっていることでしょう。
誰からも救われず。
おそらく、私を気まぐれに救おうとしてくれた人が 仮に 手を差し伸べて現れたとしても、私はその手を噛むのでしょう。
どうせあなたも裏切るのでしょう、見限るのでしょう、あなたも何かに重ねて勝手に主語を拡大させて あなたの勝手な価値観で殴るのでしょう。
仮にそうならなかったとしても、私が、
「こんな私でも救ってくれるの?」と試すように無理難題を振りかざして、振り回して。救おうとしてくれた人をボロボロにして遠ざけることでしょう。
そして「ほらやっぱり」「どうせ~…」と、孤独を深めるのでしょう。
いずれにせよ、『関わらないこと』 が懸命な判断なのだ。
人と関わることで摩擦が生じて火花が散る。まさにその火花で業火の如く強い感情が降りかかる。
御免被る。
いつまでもあのとき傷つけてきたヤツらが脳内に棲みついて嗤ってる。
そしてこちらもそいつらが苦しんで生涯を終えることを願ってる。
怨念に囚われた、実に残念な孤独の生き物だ。