藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“造られた幸福感。”

 

 

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ロボトミー手術かな?

ブラックジャックの『快楽の座』を思い出しました。

…と、軽々しく書いてますけど、どうやら重篤な状態からの回復が見込めるとのことらしく、結構すごいことなんでしょうけども、
どこかでやっぱり、電気信号でどうにかなるのなら 精神疾患とは…? みたいに思ってしまって、人間とは…? と。

リンク先記事本文にて、

>>現在、患者はコロナ禍のなかでも安定した精神状態を維持し、両親の介護を精力的に行っているとのこと。


と あるのですが、
これ、仮に本当は介護するのがイヤだったら電気信号入れて、当人の気持ちを無視して快活に介護に臨むことが出来るという?
(この表現には、私が「介護はイヤだ」という意思のバイアスがかかってます。)

塞ぎ込みやすい事案に向き合うことであっても、そうなることはなく、為すべきことを成すことが出来ると?

以前の自分を取り戻し(記事より) というのは、鬱状態に至ったその経緯や理由などを解決なり、自発的に向き合って鬱状態に至る根拠を解明し、そうならないような考え方を自ら身に着けたのでもなく? またその鬱に至る可能性があるときに回避方法を見出したワケでもないんでしょうかね。
強制的に『喜びの回路』に入れたワケですよね。

その『喜びの感覚』も多種あって、それをどうやらコントロール出来るようで。


これヤバないか。

ワタミのチラシで見るような みょうに口角の上がってる不健康そうな人みたいな人が量産出来てしまうのでは。
松井優征先生の作品に出てくるアレなキャラみたいな人がコントロール出来るのでは。
…と思いました。



人間、感情の化け物みたいな側面があるので、その感情の暴力を振るってくるような人もいるワケですよ。モラハラとかDVとかする人みたいな。
私がよく忌避してる高圧的な人とか。
そういう人も、これでなんとかして仕舞えるのでは って思いますよね。
人間さまが自分で出し入れしている感情というのは『心』というワケわからんものに準拠してるのではなく、あらゆる意思次第なんじゃないですか。

感情労働を強いる人もいますし。


その『場』で表面化されている『感情』はどういう経緯を経てその『場』に表出されてくるのか、未来ではますます不透明になるんでしょうかね。