「何者かになりたい人」の本当に求めているのが「自分が何者かになること」と言うより「自分が何者かであるとして扱ってくれる周囲の人々」の方、てのは割とよくあることで
— ultraviolet (@raurublock) 2021年6月14日
というか、
お金を得られたら良いというか。
特別な自己実現をしないと大金を得ることが難儀だからサロンとかで搾取出来る人になりたいとかそういうことではなく?
年収200万にも満たない低収入だから、そこから抜け出すには頭一つ抜き出る必要があるからでは? と。
あと自己顕示欲を満たしたいのもあるし。
テレビでもユーチューバーでもなんでも、得意なことを伸ばして楽しそうに目立ってお金を稼いでる人になりたい、だからこそ誰かにとっての、『みんな』にとっての特別になりたくて、『何者』かになりたい んじゃないですかね。
インターネットがあるから、自分が何か秀でた部分があっても、そのジャンルの強い人と比べてどうにもならない ってのはあるけど、だからって、小さなコミュニティでのすごい人になったとしても、そこで多くのリターンが、収入が得られるワケでもなく、ただ周りの人に依存されて頼られる人になって終わるだけなんですよ。
『何者』にならなくとも『自分』になればいいじゃないか てのもあるけど、その『自分』すらも不透明というか不明瞭で、
『求められる自分』を演ってるだけなので、そうやって誰かしらに気を遣って気をまわして気を揉んでいるだけなので『自分』は演れて無いんですよ。
上に書いたように頼られて終わり。求められる人になって終わり。
『自分』にもなれないんですよ。
『自分』の『本分』すらも既に喪失してしまってるんですよ。
だけど、どうにか普通の暮らしをしていく為には『普通の正社員』さえ難しいこの時代なので、どうにか『求められる』ものをやっていくだけで、そうやって鋳型に押し込めて色んな抑圧を喰らいながら、
たまたま抑圧を受けずに済んだ、生まれ持ってのメンタル強者が楽しそうに自己実現しているのを羨んで怨んで、恨みながら、ストロングチューハイ飲みながら『自分』をぶっ壊してギリギリ生活してるんですよ。
多くの人はフォロワー何万もいないし、オフィシャルな場でネットに記事も書けないし、本を出版したりすることもない。
…多くの人は、などと主語をデカくしてしまったけど、そんな私は毎日底辺を歩きながら、誰かの大きな声に脅えながら怯えながら、隅っこでガタガタ震えながら『大きな声の人の仰る通りです』と、自分を殺して生活を重ねるのです。
特別な何者かにはなれない。
『自分』にもなれないんですよ。
私はただの雑草ですよ。
たまに犬に糞をされるような雑草ですよ。