感受性が豊かな子ほど、大人から求められる子ども像を察知して、自分の要求や欲求を、無意識に抑圧してしまうことがある。
— Nikov (@NyoVh7fiap) December 30, 2016
「自分がどうありたいか」より、「周りに認められるいい子」であろうとする。
こういう子だったのかもしれない。
— あんこ (@5ikeanko3) October 8, 2018
だから精神科通院して、カウンセラーに「あなたはどうしたいの?」って聞かれた時に衝撃的だった。自分がどうしたいかなんてなかったから。
自分の気持ちは一番後回しだったなぁ。 https://t.co/QZKYp8bOmx
「自分がいま何をしたいのか?」をたずねると「自分がいま、しないといけないと思っていること」を答える人がいるのが象徴的ですね。
— 桂木裕【OM-D E-M5 Mark II】 (@mayakima) October 9, 2018
学童を手伝っていると、「怒られる」をベースにして育てられている子供たちは、小学5,6年生くらいになってくると、もう基本的に大人を信用しなくなってしまっているなと感じることが多いんですよね。表面上は言うことを聞いているように見えるけど、それも自分の「本音」を守るためなんですよ。
— kentaro isaka (@isa_kent) October 9, 2018
自己肯定感がクソみたいだと、自分で自分を認めてあげられないから、他者評価が自己評価に直結して、他者評価に引っ張られるから、いつまでも満たされない。
— Nikov (@NyoVh7fiap) October 17, 2018
カウンセリングだった。
— かずー (@shiawasesaku3) October 9, 2018
自分のちょっとした頑張りに対して「私えらい!」と全然思えていない、言葉にできても感覚として味わえていないという話になった。私には頑張った後「えらい」よりも「当たり前」と思う癖が染み付いてるらしい。「私えらい!」と心から感じる練習をするよう勧められた。
自己肯定感を得られないまま大人になった人が、それを取り戻す過程は、相当に難易度高い。
— 石橋尋志@発達障害ADHD (@ihi1484) October 10, 2018
自分の過去と向き合い、肯定してもらえなかった幼い頃の自分を、今の自分がヨシヨシ褒めてあげる感覚が必要。
ここに至るまで、かなりスッタモンダしないといけない。それすら受け入れる覚悟が必要。
自己肯定感を取り戻すのはなんだか子育てみたいな大変さがあって過去の自分をよしよししているという不思議な感覚がします。
— みー (@mischax429x) October 10, 2018
つい最近、高校生の私をやっと笑顔にできました。
大学生の私を笑顔にするのに時間がかかるから長い道のりです...。 https://t.co/pHbzTYm4zO
私が圧倒的に自己肯定感が低いな というコトに改めて気付かされて、気付かされたコトによって「だから私はダメなんだ」「もうどうしようもないんだ」と二重にループしてるというか 自分を責めてるのが強くなってる感じがしたので、少し前にツイで気になったやつを引っ張ってきた。
前にも「この子かわいいのになんで自分でかわいくないとかメンがヘラってんだ?」とか他人事を書いてましたけど、
そりゃ私も似たようなこと思うからだわな。
だからどれだけ他者評価もらっても全然私自身に響いてこないし。
「何々がそれだけあなたはすごいんだよ」
とか言われても、「へー」って感じ。
逆にじゃあ、「何々が私から無くなったら私は価値が無いんだな」って思う。
「こういうトコがあなたのいいとこ」とか言われても、「じゃあそのいいトコを保持し続けなければならない…!」って思っちゃう。
無根拠で無条件の自信が欲しいとは思うけど全然根付かない。
どれだけ親しい人でもいつか裏切られたりするんだろうな って思ってるから敢えて裏切られても仕方ないような言動を取ってみたり。かけられる言葉を悪い方に裏読みして徹底して自己否定の為に使うとかね。
わざとそんなことしなくても、普通にしててもガンガンに殴ってくる人(比喩)もいたから ほんと人こわいな って思うし、悪気が無いからこその恐さもあるわ。
だから普通にしてても生きててすいません って感じだし。普通でこれだから付加価値つけなきゃとか思うし。
でもすごい人や出来る人なんてのは山ほど居るので どんな仕事でも技術でも代替可能なんだから私である必要は無いしな とか思うし。そしたら付加価値自体の意味も皆無だし。
「何々がそれだけあなたはすごいんだよ」
ってのも何の意味を為さない。
もっとサクッとdie out出来たらラクなんですけどね。