友人にガンになってしまったことを伝えたら、『神様は乗り越えられる試練しか与えないから大丈夫』と言われたが、選ばれたくなかったわ。としか思えない💦心狭くてごめん。この言葉って自分自身に大丈夫大丈夫と言い聞かせる言葉なら理解できるけど、人に向けて言うのはどーだろ?と思ってしまった。
— のん (@mizutama_non) 2021年6月12日
「みんな望まれて生まれてきた」の暴力性、いじめられっ子を無視した「うちらのクラス最高だよね」って言葉みたいなものだって言ったらわかるだろうか
— ゆきこ@小説書き (@kkym_yukiko) 2021年6月11日
余計にややこしくなるかな
そういう体験にも意味がある とかね。
そうなることには何か原因がある とかね。
思い悩んで誰かに相談しても、それはあなた自身の所為だよ というような感覚。
誰かの理解を得られない人の存在は軽視されること。
色んなところで『心』や『命』を尊重していると言いながら軽視している言葉を並べている人たちを拝見しておりますと、
全ては虚言に過ぎないのでは、と思っております。
他人を軽視し、ご自身を重んじるあまりに 他者を慮ることのない言動を重ねてみえるのなら、それは一貫性を感じられますが。