(『11月8日(月)23:59までの公開』 とのことでこのブログが上がる頃には読めなくなってますが。)
岸田奈実さんのやつで、発言背景についての仰りたいことは『わかる』のですが、
— 藤麻無有彌 (@tohma6u3) 2021年11月6日
私が わかって も、私が分かってもらえなかった 経験が積み重なり過ぎてしまったし、心とか命とかの尊さを言われても希薄にしか感じられなくなってしまったので、
もう 無理 なんですよね。
心に詳しいらしい人でもダメでしたし、呪いを掛け合う人に掛かってしまって 売り言葉に買い言葉を増長させようとなされたりね。
— 藤麻無有彌 (@tohma6u3) 2021年11月6日
救いは無かったんですよ。残念でした。
想像力とはいっても見当違いもあれば、想像力が強すぎる人もいたり、全く想像が及ばない人もいるし。
当事者意識といったところで、誰もが実際に当事者に実際になるワケでは無いのだから、本当の当人の痛みなんてのは分からない。
そしてエゴばかりぶつける人がいる。
利己的な、勝手な価値観をぶつける人がいる。
そういう、自分の思うままをぶつけることが許されるのなら、自分だってそういう『呪い』をぶつけてもいいよね? って思うのは必然だよ。
その厳しい言葉をぶつけることを自分に禁止するなら、なんで自分が言われたときに、言ってきた人を厳しくしてくれなかったの?? 不公平じゃん ってなるわ。
なりますよ。
おれがしんどい思いをしてきたんだから、おまえも苦しめ。
そりゃあ思いますよ。
「なんでその言葉をぶつけてくるの?」
「なんでその言葉が言いたいの? (明らかに やり取りしてた会話の前後から文脈は異なっているのに)」
と、問うたところで、向こうさんは聞く耳を持たずに、勝手な価値観で殴ってくるので、その造られた価値観を、その発言の根幹の価値観に触れてくれない。
心を知ってる(らしい)人であっても。
だから私は「心なんて無い」って、“言いたい” んですよ。
わかります?
価値観に 反応 してる だけ。
私は現実ではあまり喋らないので、強い言葉を言うことも無いですし。
ツイッターでも誰か知らない人に… そもそも相互の人にもリプすることなんて滅多にないです。
このブログでは、私を傷つけてきた人に対して虚空に向けて「死んだらいいのに」とは書いてます。
どうせ読まれてませんので。
あ、「死ね」とは思いません、「苦しんでください」とは思います。私が苦しんだぶん、しっかり生き地獄を と。
…でもそうやって『呪い』をかけることが、結局、私自身を、自縄自縛してしまってるのでね。よくないんですけどね。
「なんで私が怒ってるかわかる~?」と気の利かないダンナに詰める妻みたいな感じで。
なんで私が拗らせてるかわかる~?
わかる~?
なんで分かんないの
“これだから” …ったく、、、
もういいよ。大丈夫です。大丈夫 大丈夫。