藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“反応と根幹”

 

なんか、『わかる』って感じです。

同時に自分にも向けますけど。

たとえば自分が『何に恐れているか』とか っていうと、『怒られたくない』とか『責められたくない』って気持ちがあるからだし。
『何を求めてるか』だと、称賛とか金銭とかを欲しがってる自分 ってのがありますし。

『何を許せない』だと、これまでに色々受けたあらゆる理不尽な仕打ち に反応しますし。



誰かと話してると、『どこに固執してるか』『何に固執してるか』って考えますよね。
声の大きい人、反応の強い人だと尚更。
「この人は表面上はとても怒ってるように見えるけど、本当はどこの部分が満たされてないんだろう」 って思います。


欲しいけど手の届かなかったもの。
受けた仕打ち。

エゴ。

…そういう満たされてない部分が、満たしたい部分が強く『反応』として出ますね。



私の場合はわかりやすく目に見えるカタチで、『反応』は認識されにくいですけどね。
それゆえに めんどくさいタチだな とは思いますけど。

『反応』で、発言や行動として『外』に出さずに、『反応』した感情を自分の『中』で汲み取って、何を求めてる部分が疼いたのか を、自分で確認して、認めていけば、返す刀で感情をぶつけることも少なくなるのでは と思います。