LINEするときこういう感じで上と下それぞれで会話が繋がる現象のこと「二重螺旋構造」って呼んでるんだけど伝わりません? pic.twitter.com/t55PzUlEJN
— 天井には気付かない (@swirl103537416) 2020年9月1日
(そんな頻繁にLINEやりとりする人はいませんが)
— 藤麻無有彌 (@tohma6u3) 2020年9月2日
そういう使い方をする人はいますよね。妙に文節や単語で区切ってフキダシを使う人は。
私は長文で一気に返信するんですが 内容が異なる部分へは改行を大きく空けたりします。
というか、フキダシ💭を、細かく刻んで連投するのはなんでだろう って思うんですよ。
私がそうしないからそれをする人が不思議に思うんですけど。
前になにかで見たんですけど、思ったことをなんでも口に出すことと、思ったことから話すまでの間に、何を話すかを、どう話すかを取捨選択して話す人の違いについて見たんですよ。
だからそれに近いのかなー って思うんですけど、その違いについての双方の考えに理解が及ばないと難しいのかなー とか思ったり。
思うことと話すことは違いますからね。
なにかにつけての事象に触れたときの『反応』というものがあるとして、所詮第三者視点では目に見えるものしか『反応』には『反応』できないですけど、それを発露するに至るまでに『反応』した感情があって。感覚があって。
それは自分の感じたものを噛みしめたりして、でも話すかどうかはまた別じゃないですか。
また、正しく言語化して、感情をそのまま言葉に置き換えることが可能かどうか。
感情を隠して言葉にするのか、意識して感情を隠すのか。
思うこと全てがその人の『意見』では無いので。
思ったことを『 伝 え な い 意見』もあるので。
どう思ったか、と、問われれば話すことは出来ますが、
思ったことを何故話す選択を採らなかったのか? は着目して頂けるのでしょうか。
もちろん、沈黙してる側のことは見えないし分からないし、不安にもなるでしょうけどね。
どういうコミュニケーションの取り方をしているか っていうのは人によって違うし、人によって求めてるものも違うし、コミュニケーションの取り方を考えてる人もいれば、考えてない人もいるし、優劣を付ける人もいるし。
ま、色々ありますよね~。
(本文の冒頭で引用したツイートの本意とは異なるであろう展開になった文面だな)
(たぶんまたこの手の話を書くと思う。)
(また似た話を書くと思う。)