藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“思って、から、話す こと、”

 

 

 

というか、フキダシ💭を、細かく刻んで連投するのはなんでだろう って思うんですよ。
私がそうしないからそれをする人が不思議に思うんですけど。

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前になにかで見たんですけど、思ったことをなんでも口に出すことと、思ったことから話すまでの間に、何を話すかを、どう話すかを取捨選択して話す人の違いについて見たんですよ。

だからそれに近いのかなー って思うんですけど、その違いについての双方の考えに理解が及ばないと難しいのかなー とか思ったり。


思うことと話すことは違いますからね。
なにかにつけての事象に触れたときの『反応』というものがあるとして、所詮第三者視点では目に見えるものしか『反応』には『反応』できないですけど、それを発露するに至るまでに『反応』した感情があって。感覚があって。
それは自分の感じたものを噛みしめたりして、でも話すかどうかはまた別じゃないですか。
また、正しく言語化して、感情をそのまま言葉に置き換えることが可能かどうか。
感情を隠して言葉にするのか、意識して感情を隠すのか。


思うこと全てがその人の『意見』では無いので。
思ったことを『 伝 え な い 意見』もあるので。


どう思ったか、と、問われれば話すことは出来ますが、
思ったことを何故話す選択を採らなかったのか? は着目して頂けるのでしょうか。

もちろん、沈黙してる側のことは見えないし分からないし、不安にもなるでしょうけどね。


どういうコミュニケーションの取り方をしているか っていうのは人によって違うし、人によって求めてるものも違うし、コミュニケーションの取り方を考えてる人もいれば、考えてない人もいるし、優劣を付ける人もいるし。

ま、色々ありますよね~。


(本文の冒頭で引用したツイートの本意とは異なるであろう展開になった文面だな)
(たぶんまたこの手の話を書くと思う。)
(また似た話を書くと思う。)