藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“無理解の先”

 

 

(娯楽大作作る とかいうくだりはさておき。)



わかり合えなさ についてはずっと書いてきてて。
そもそも分かり合うことが出来る ということは幻想で。
そもそも わかりあえないことが大前提で。

誰かとわかり合うということなんて奇跡で。




そんな孤独感、閉塞感 なんてのは当たり前のように横たわっているものなんだけど、私はいつもそれに躓いてしまうので、
「わかってもらおう」とすることを諦める傾向が強いんですよ。


早い話、言っても無駄だ というやつです。
どうせ声の大きい人に潰される。

私の欲しい『理解』は殺される。


ですが、
『理解』を『求める』とかではなく、
私は “こう” だ ということを少しずつ表明して積み重ねていく。

相手にとっても、私を『理解』しようとしてもらうことを諦めてもらおう。

そこで無理なら離れてもらえばいいし。関わらなければいいし。
「理解できない!」と攻撃してくるような人は縁を切ればいいし。

「しゃーないな」と諦めながらも付き合ってくれる人がいるかもしれないし。
それは知らん。


「どうせわかってもらえない」
「どうせ伝わらない」とは相変わらず思ってるけど、
まぁどうでもいいので、私は、私の今は “こう” だ ということをただやっていくことにします。