藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“わかりあえない前提 から”

 

 

 

そもそも、わかりあえる というのはどういう状態なんでしょうね。
幼少期から良い愛情を受けてこられたからなのか、周りの大人から受容されてこられたからなのかしら と思ってしまうのです。

わかる、わかってもらえる というのが、要望が通る と思っていることもあり得ますし。
共通の言語、共通の認識や、どういったものに価値を置いているのかなど、本当は差異があるものなんですけどね。


わかりあえないことが分かる ということがどういうことか分からない ということもありますし。
わからないことがわかる こととか、そもそも何が分からないことか を認識することが出来るのか というのもありますし。



粗暴や高圧的な文言で、威嚇してみたりして、社会的な階層の上の人が、わ か ら せ て き た り 、
粗暴な言動を採ることが好ましいと考えている人が、わ か ら せ よ う と してきたり。


一方的に わ か ら せ よ う と してくる人がいるのに、もう一方の人は無理矢理に『分かる』を飲み込ませて、
同じ態度で『わかる』を消化していないのに、なにを以って『わかり合う』なのでしょうか。


無理矢理『わかる』を飲み込ませたか、
わかったフリしておいた方が都合がいいから、わかったふうな態度を表しておいて、取り敢えず表層を合わせてスルーする。というのもあるでしょうし。


また、本当に『わかり合った』としても、同じ認識で深さで『わかる』を『わかった』かは分からないし。


わからないことだらけですよ。


そんなに『わかる』ことについてわかってるかどうかなんてわからないし。
他の人がどこまでわかることをわかってるかなんてわからないですから。