藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『理由』”

 このツイートに付いてるリプ欄と、引用ツイートを一通り読んだりしたんですよ。

何が引き金かなんてさっぱり分からない。
何が理由かなんて分からない。

三者には分からない。


病み系エッセイ漫画に突然出てくる理解者とか伴侶とか、そんな人が近くにいて救われるとか、そんなことは無いのです。
信用できる誰かに打ち明けられたら とか言うけど、そんな人はいませんし、打ち明けることが負担だ、迷惑だ と考えて、閉口しますし。
打ち明けたり話したりしてみた経験を重ねた上で、どうせ理解されない を重ねてしまったり。

けど、いつも暗澹としていては迷惑をかけるから、明るく振る舞うことを努めたり。




ま、私はいつもこのブログでは「死ぬ死ぬ」書いてるから死なないですよ。
死ぬことが幸せなら笑顔で見送る と言ってた人もいたらしいですし。追い込んだ自覚もなく。



まぁ、いいんじゃないですかね。

たぶん死なないですし。


結局自分以外のことなんて分からないですもの。

どれだけ込めても通じない人には通じない。

わかり合えないわかり得ない。

なるべく自分が楽しく在れたらいいな って思うだけですよ。

それでもふと死にたいと思うときはあるし。

ホームで電車を待ってて線路に吸い寄せられそうになるときはあるし。

しょうがないですよ。

主観としてはね。



ただ、残された方としては、見送る立場になってしまったときには、ツラいし、イヤだな って思うんですけど。

何か気付けなかったのかと、止めることは出来なかったのか と思うんだけど、

本当に死ぬってなってしまってるときには一切を悟らせないように振る舞うだろうな って思うし。




あらゆる因果とか、理由とか、単純なものではもう図れないと思うのよ。

でも、理解して分かった気になりたいし。決めつけたいし。

何がキッカケになるかは分からないし。

本当に『ふと』ってことが起きるときもあるし。それは何の因果もなく。



こういうのはもう分からないものだよな…。

自分ですら分からないんだもの。



ただ、起きてしまったときにはただそれを悲しいなと思うだけ。

悲しいと感じるだけ。

後悔もきっとあるけど、その後悔も重ねて連れていくんだろうなって。