藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“萎縮、気遣い、”

 

よくあることですけど、

それゆえにイヤになります。

 

勝手なご自身の都合で感情をぶつける方がおそろしいので、
いつ、なんどき、貴殿さまがご気分を害されてるか分かりかねますので、誰かに声をかけるときには、そのときに勝手に怒鳴られますまいとして、いつも萎縮し、遠慮し、謙遜し、配慮して生きてます。

人はこわい。

心ってなに?

醸成されているであろう感情の何を感じているかを知ろうともしないでいつも『反応』をぶつけてきて、そうして発露している それ を感情だと思って攻撃的になさる。

人はおそろしい。


そんな恐ろしい人たちが魍魎跋扈しているがゆえに、
暗がりの森の中を小枝すら踏まず、落ち葉の重なりも踏まずに、音も立てずに周りを見渡し、見張り、おそるおそる生きる。
人に声をかけるのもこわい。かけられるのもこわい。


だけど、人は助け合って支え合って生きていかなきゃいけないね?
とてもつらいね。
とても疲れてしまうね。


助けてもらう為にはとてもへりくだる必要があるのかしら。
誰かを頼るときには絶望に瀕し、誰しもが見て困ってる状態にならないといけないのだろうか。
病気や怪我でどうしようもない状態にならないといけないのだろうか。

気を遣って、気を回して、
過ごしやすい環境整備を、その環境の責任者や管理者でも無い私がそこまで
気を遣って、気を遣って、気を遣わなければならないのか。




『命を大事にした行動を』


普段から採ってる言動は命を大事にしてもいないのに。
命に関わるメンタルの状態すらも保障せず。





主観が大事と仰るのなら、正義を振りかざすならどうぞ、身勝手な気分で他人を虐げていて下さい。
主観が大事なら、いつまでも気を遣い続ける環境下に、この世に、いつまでも執着する必要はありませんもの。


貴殿さまの人生では私は使い捨ての駒かもしれませんけど、
貴殿さまが駒だと思ってる私には私の人生がある。

私を主人公とした人生においては貴殿さまとは出合うべきではなかったただのイベントで、回避するタスクもあるんですよ。