私だって諦めてるからお前も諦めろよ 的な。
私だって我慢してるんだからお前も我慢しろよ 的な。
主は非モテ女性だそうですけど、「私だってママ欲しい。」って部分に本音があるような気がして。
実際に、人に詰め寄ったり 求めたりするようなことは別として、
自分をまるごと受け容れて認めてくれる人とか、
自分の全てを肯定してくれる人とか、
身の回りのことを全部やってくれる人とか、
…そういう人が欲しい って気持ちはあるでしょ??
私は欲しい気持ちがありますよ。
ただ、それを求めることがあまりにも自己中心的過ぎて傷つける可能性があることは分かってるので、実際に求めることはしませんけど、欲しい気持ちはあります。
性的な意味で欲しい ってのもあるし。
で、
女にとっての男性のママが欲しい ってのもあるよね。
ついさっき、二次の男のキャラに向けての「ママ」って呼称してたやつを見たんだけど。
自分を受け止めてまるごと愛してくれるママみたいな男も欲しいよね。
身の回りのこともやってくれたり、話を聞いてくれて全肯定してくれるような。
勿論、女にとって、女性のママが欲しい ってのもあるわね。
同性だからこそ という意味での「わかってくれる」感もあるし。
甘えたい気持ちもあるし。
それこそ年齢を重ねたら「ママ」の気持ちが分かるからこその、甘えたい気持ちもあるだろうし。
…ま、実際に育った家庭環境次第では、そういう役割を担っている存在に対する嫌悪感を持つ人もいるので当然 一概には言えないけど。
少なくとも、元記事を書いた人には、甘えたい気持ちがあるんだろうな とは思います。
まー、あれですよ、
何度も言ってることですけど、いい大人が大きな声で 自分の勝手な固定観念に基づく正しさを使って相手に言うことを聞かせようとしたりすることも『駄々』ですからね。
「だって」「だって」と自分のことを言いたがるのは子供のような気持ちの顕れですもの。
そういう幼稚さ、あるじゃないですか。
私にはありますよ。
言わないですよ? 状況を弁えてるので。
でも、私の中に幼稚な気持ちはあります。
この人にもあるし、
幼稚な部分を持ってる人、普通にいると思いますよ。
でも、それでいいじゃないの って思うので。
それを責めにしたり、誰かに強く求めたり、加虐しなければ。
どうせ誰も分かってくれない とか、死ぬときは1人とか、
「大人はわかってくれない」をこじらせた人は、「誰にもわかられない私」がアイデンティティになってるところがあるから、理解者が現れたとしても「簡単にわかってたまるか」とキレると思いますよ。
— 国語科教員 (@coda_1984) 2021年4月3日
そういう気持ちも根強いですよ私は。
誰からも理解されない孤独感とか、すっごい深いです。
人間関係自体の煩わしさとか すっごいある。
『心』があるワケが無いとか、
誰かから理解を得られるワケがないとか、
困ったときに助けてくれる人なんていないとか、
誰も助けてくれる人はいない とか、
私の本当の悩みをちゃんと聞いてくれるような人なんて いない って思ってる。
その一方で、私の気持ちの中では、
私を全肯定してくれる認めてくれる褒めてくれる「ママ」がほしい ってのもあります。
どうせわかってくれない / 私は圧倒的に孤独 って気持ちがめちゃくちゃ根深いがゆえに、全てを受容してくれる存在を欲してるんだろうな と。
そういうことを自分の中でわかってる上で、私の気持ちの中で折り合いを少しずつ付けてみたり、諦めながらも欲しい気持ちをしっかり自分に表明しておけばいいと思うんですけどね。
欲しい気持ちがあること自体を自覚してるだけでも。