「話さなくても良いことを話している人を見ると、愛されて育ってきたんだなと思う」という発言が興味深い。相手は興味ないだろうから、と伝えることを何度も諦めてきた人には、羨ましくうつるらしい。
— ツル (@blueee_p) 2020年12月4日
振り返ってみると、大きなことも小さなことも、家族に何か話すときはいつもみんな顔をこっちに向けて「うんうん」と聴いてくれてたな。こうして、くだらないことも誰かが受け入れてくれるって期待できること、実は貴重なんだな。
— ツル (@blueee_p) 2020年12月4日
それを踏まえた上でフジファブリックの「虹」をきくと、「言わなくてもいいことを言いたい」という歌詞が、もう少し重みをもった叫びのように聞こえる。聞いて欲しいとかじゃなくて、すんなりと、心軽く言えてたかったんだよな。
— ツル (@blueee_p) 2020年12月4日
おしゃべりな人は、こっちの話には薄い反応で返すし、即時自分の話に切り替えるし
— 魚目まじめ (@Scab_8) 2020年12月5日
人生楽しいだろうなー。羨ましいなーってよく思う。
たまに、無敵貫通スキルを持ってるおしゃべりさんがいて対応に困る。
前も書いた気がするのですが、『一方的に話したい』ってのはありますよね。
会話の応酬の中での受容なんてほんとに伝わってるかわからない。
言いたいだけなのか、
聴いてくれる誰かがいればいいのか、
伝えたいのか、
伝わってるかどうかが大事なのか、
話したら解決というワケでもない。
「言ったやん!?」ってなっても聞いてないときもある。
忘れてるときもある。
受け取る印象が違うときもある。
認識の違いもある。
根底の価値観からの受け取る土壌の違いもある。
テキストで伝えたほうがいいタイプ、
テキストの方が伝わるタイプ、
話して伝えたいタイプと、
耳で聞くことで伝わるタイプ、
全部違う。バラバラ。
あと、そのときの気分もあるだろうし。
私は色んなところで「言っても無駄」ってことが刻まれてしまったので、なにも期待しないように努力して、こういうブログで一方的に呪詛を紡いでるだけです。
…裏を返せば、とても強烈な他者へ向けての「分かってほしい!」が内心ある と 自覚しているワケですが、どうにかなるものでもないので、自覚だけしておいて、横に置いておきます。
尚且つ、「聞いてほしい」とか「共感してほしい」ってのが、話を聞いてるときに感じ取れてしまうと、『共感してほしいんだな』ってのが分かってしまって、ビジネス的な『共感』の応対をしながら、「話長ぇーな」「この話うぜぇな」なんて思ってることもありますし。
で、
そのビジネス的な『共感』を さ れ て い る ん だ な っていうのも、分かる人には分かるもので。こちらが話す立場だったときの、聞いてる人の態度の感覚で、『ほしいところまで伝わってないな』と思ってしまうこともありますし。
私が感覚に敏感だからとか貪欲だからとか ってのもあるかもしれませんが、所詮これも主観ですし。
何を言っても「もう ほんとに貴方って分かってない!」ってのもありますし。
共感 ってめちゃくちゃ難しいですよね。
人の話を聞くのはとても難しいですよね。
私はだからここで一方的に吐き出してますので。
勝手にさせて頂きますね。