藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『反応』を求める『呪い』”

末次由紀さんのこの記事、

comici.jp

 

うん…。

正直ね、ツイッターでのリプライはいらないし、ブログでのコメントもいらないと思ってるんですよ。
けど、『いいね』は欲しい。『☆』は欲しい。

というか、「読んだよ」という “しるし” みたいのが欲しい。
それこそ旧mixiにあった “足跡” のような。
フレンドがあなたのページを訪れましたよ みたいな。
あなたに関心を持っていることが示されましたよ みたいな。


それこそ、末次由紀さんの記事にあるように、
『話しかけたら返事をしてほしい』
っていう。その、シンプルなそれ。それだけでも救われてしまう気持ちがある。


反応がほしい。


で、

私も誰かから話しかけられたときに、「あー、反応が欲しいんだろうなー」って察してしまうことはよくある。
「肯定してほしいんだろうなー」って。(前も書いたけど。)

(で、最近それを面倒に感じてしまってるのも本音ではあるのですが。)


少し前にも、知り合いが常識から外れた行為を何故か美談(?)のように話してきたことがあって、それに対して私はどう反応したらいいんですかね?? って思ったり、
共通の知り合いの人を、「あいつほんとにウゼェんだよなーw」って共感を求めるような話しかけをしてきた人もいて、
私、それに乗っからないといけないんですかね?? って思った次第で。

tohma666.hatenablog.com


けど、話しかけてきた方は、その話を否定されたくないであろうことは自明なので、愛想笑いで「そうなんだー(^^)」みたいな “反応” を私は返すんですけど。

こっちは「どんな意図でそんな話をしてくるんだ」って考えてしまうんですけど、
どうやら世の中には、息を吸って吐くようにただ悪口を言いたいだけの人もいるみたいなので、私が深く考える必要は無いのかもしれないんですけど、
その話に乗っかって、私が思ってもいないことに共感を寄せる …みたいになるのはイヤだなぁ って思ったものです。



ま、人の話しかけてくる、求めてきてるな と感じてしまう『反応』はさておき。


私にも当然『反応』を求めてしまう気持ちはあります。
『わかってほしい』気持ちが無いとは言い切れない。
『わかる』の深度にもよるのですけど、理解はさておき『知った』かどうか、
理解し得ないことであったとしても、それがそこにあるということを認知した みたいなものであってくれたらな …という気持ちなのかもしれません。


ツイッターしてても “いいね” が付くと嬉しいから。
いいコいいコされたいやん。

そういう気持ちがあるなー っていう。
……自覚だけで取り敢えずいいよね? って話で。