前から書いてますけど、悪く思うのは勝手ですけど、攻撃してくるのは勘弁してほしいですけどね。
攻撃も、口撃も。
あなたにとって私は目の上のたんこぶだったのかもしれない。
私もあなたを『悪』とみなしていたので。
心の中で見下していれば自分を優位に立てて安心できるので。
内心では馬鹿にしていれば私は利口に振る舞えるので。
あなたの悪行を列挙しておけば、私は善人になれる。
『逆』も然りではある。
『役回り』だ。
誰が、ほかの第三者が、その瞬間、その場で、どの『回』を採用するかは知らない。
どこまで第三者による、私とあなたのその『役』を相応しいと思っているか。
どっちが似合ってるか、
適切であるか、
この場での条件を満たすものはなにか。
主観的な 正しさ のポジション争い。
あなたも私も善行を重ねる正しいヒーローならば、救われるのは誰だ。
勝者は正しいのか、
救ったことが正しいのか、
敗者は去りゆくのみで死人に口なし。
第三者が何を選ぶかは知らない。
複数の第三者がどっちを支持するかはわからない。
だけどいずれ去ったものは忘れ去られ、そこに残ったどちらかが第三者と関わりを重ねていく。
そしていずれまた、私とあなたと第三者が発生する。
その立場の中で “私” がどの場に立つかは、その瞬間まで知れず。