汚い話でごめんなさい。
— あたおか☆いくみ @ 医学部目指して勉強中! (@Zhongye_ikumi) 2020年10月3日
実は私、飛び降りの後遺症で排尿障害があって、常に紙おむつなんです。
これはもう、死ぬまで付き合わないといけない現実です。
もし、自殺考えてる人がいたら思いとどまってほしい…。
未遂に終わると、一生続く後遺症が残る可能性もあります。
このツイートに付いてるリプ欄と引用RTしてるツイートがまた…、なんですけど。
このときのツイートのと何処か通じますけど、普段、なんの予兆も感じさせずにサラッと死んでしまった人と、
死のうとしたのに『失敗(?)』して、後遺症とともに生きている人。後天的障害とともに生きている人。
……『失敗』って今書いててこの表現が適切か分からないんだけど。
決行するとき って並々ならない覚悟だったと思うんですけど、それがうまくいかなくて再び現実に向き合わないと / 社会と関わっていかないといけない ってなったら私ならめちゃくちゃツラくて尚更死にたい気持ちになるのに、
再び決行しようとしても身体が言うことをきかなかったりするでしょうし。
死を選ぶことすらも挫かれる。
希死念慮とか、死にたい気持ちが消えることは無いと思うんですよ。
まぁでも、希死念慮を忘れてるときがあって、その時間が増えていったらいいなー くらいですかね。
正直なところわたくし、小さい頃から希死念慮と寄り添って暮らしているような生き方でしたが、近年はもう自分の中の「生きるのが!つらい!!」を、おいしいものたべたり寝倒したりしてなだめすかしてなんとか生き延びています
— シギサワカヤ@「お気に召すまま シギサワカヤ短編集」発売中 (@ktos_tw) 2020年9月27日
「ほどほどにしぶとく」が信条です pic.twitter.com/8fAQ3SjwuU
死にたいって思ったことの無い人とか、死にたいって人を侮蔑して強い言葉で罵る人に比べたら全然健全だと思いますよ。
人間、簡単に死ぬし。
人間、簡単に死なないし。 これは両立することで。
(最近似たようなこと書いてるけど、一側面を断定できることなんてなくて、どっちにもその可能性がある ってただそれだけですけど。)
成功したらスッキリするけど、失敗したらイヤだな って気持ちで、勇気も覚悟も持たないことも大切かもしれない。
うまくいくといいけど、うまくいったら不安だな ってのもあるし。
両方を考えられるなら、取り返しのつく失敗を重ねた方がまだマシ。
…と、今は考えていられるので、今の私は健康なのかもしれません。