藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『普通』  の  人、(コミュニケーションの出力調整)”

 

comic-days.com

 

なんかバズってたので私も一応読んだんですけど、、、

 

読んだ直後の私の感想はこれです。

 

 

 

 

 

というのが私の読んだ直後の感想です。

 

で、

 

あとで見つけた作者さんのアカウント。

 

そうかー。

 

 

前の作品も少し触れたんですけど、やはり『普通』にフォーカスされてる感じかしらね。 




なんだろうね~~~……。

最初に張った、読後の感想と同じくやはり『普通』ってなんなん って思ってるところはあるので。

あー、なんていうのかな、きっと私は世間的にはそういうのが『普通』として求められてる / 認識されてる ってものを把握しながらも、別に私は無理だなー とか思ってるところがあるのかもしれないですね。
諦めてるというか、合わせることをやめた というか。

会話の中で『普通』を求められて合わせることくらいは得意なので簡単に合わせられるし、会話する相手次第で、分かる人には小出しにしていく感じなので、無理だな って人にはもう私は話を切り出さないですからね。


私のこのブログやツイッターでも顕著ですけど、私の好きなものなんて取っ散らかってますから。
漫画やアニメやヴィジュアル系ハロプロ(最近触れてない)や一部旅番組(街ブラ系)やポケモンgoや、最近は相撲についてとか。

最近は性癖についても少し書いてみたけど、あれも共感を呼ぶ為というよりか、興味のない人とかイヤだと思う人を遠ざける為なんじゃないか ってのもありますが。(苦笑)(←と書いておくことで自嘲しておくポーズ)


そうやって好きなものを自分が楽しめるぶんだけ摂取して、それをインプット / アウトプットしてるだけなので。
で、詳しい人は私なんかよりももっと詳しい人もいるし、じゃあ私がそこまで詳しくなりたいか というとそうでもないので、楽しめるぶんだけでいいので。



世間的には? 社会的には? 私は一応仕事してるので、そこで社会と関わってる、一般常識も備えてる ってだけで、外ヅラ的には『普通』に扱われるし、そこは私も『普通』だと思ってるので、それでいいんじゃない? って思うんですけどね。

誰かと深い関係になりたいときに『普通』を求めるとめんどくさい部分が出てくるのかもしれないですけど。

私は、自分の『普通』を疑いつつ、他人に向けては「あー この人にとっての『普通』はこうなんだー」ってのを、会話の中や仕草から察しつつ、コミュニケーションの出力を調整してる感じですかねぇ。


コミュニケーションの出力調整。いい言葉ですね。
タイトルに付けとこう。(ここまで書いたあとで付けました)



趣味や生活様式についての『普通』が主に課題になりがちなところですけど、
事象から受け取る感覚や感情を何層のフィルターを自分の中で通して、どのような形式でアウトプットするのか(即反応する言葉を使うのか、相手に伝わる言葉を考えるのか、言いたい言葉を感情のままに使うのか)、ということを『普通』に考えることが出来ているか? という視点も込みだと、『普通』を追究、追及、追求(←3種どれでも)するのはとても難儀な話だな と思いました。