藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“良い子にしてるのに何も見返りがないからみんな呪い殺す。”

 

前も触れた『公正世界仮説』ですかねぇ。

 

 

 

本エントリのタイトルを敢えて少し過激に(?) した。


こういうときにね、「みんな我慢してるんだよ!」って怒る人がいるからこわいのよね。

で、
『みんな』って誰やねん って話でもあるし、
各個人がしてる『我慢』も異なるし、
『我慢』が限界を迎えての『怒り』の発露に至る経緯も人によって異なるワケなんですけどね。

何を『我慢』してるかにもよるし。
耐えやすい『我慢』と、耐えがたい『我慢』もあるし。
スルーできることもあるし、無視できないこともあるし。


で、
だいたい怒ることに慣れた人が自由にやりたい放題やって、その人が勝手に怒って、「不快だ」「我慢してたのに」と。こちらから見たら自由にやってる人が どうやら我慢してたようで、そこに触れる何かがあったら怒る と。

ですけど、潜在的に見えないところで我慢を強いられてる人がひたすら耐えてるんですけどね。
私とかが。
……と、書いてしまえますけど、私も他人から見たら勝手にやってるように見えて、それを我慢してる他人もいるのかもしれませんけどね。


その我慢の認識の違いも冷静に話すことも出来ないから、これも勝手に不満を溜めてしまうのですが。



主観的に、自分が思うものを思うように振る舞って感情をぶつけてきた人に対しての怒りも堆積してますので、
そういう人から受けた人への怨念は昇華できないまま残ってるので。
そういう人から受けた私の感情の行き場がどこにもないまま、わかってもらえなかった憤りがずっと残ってるので。

もう人と関わることはストレスになるのでどこか諦めて、
私が『普通』にしてて、『ちゃんと』しててもどうにもならない状態になったら、しんどいことになったら、呪い殺してやろうとはずっと思ってますけどね。

でも『呪殺』すらも、他方が仰る 主観的に不快な感情をぶつけることを是とするならアリですよね?
死後強まる念の能力を鍛えておきますので、その鍛錬を怠らず過ごしたい次第です。