怒りが大気に横溢しているので、何か指向性が与えられると、一気にそちらへ憎悪の奔流が襲いかかる。問題なのは、怒りだけに限らず感情は“癖”になるので、コロナ禍が明けても、人が怒りに翻弄される世の中になりかねないことである。
— 蝉川夏哉 (@osaka_seventeen) 2021年8月5日
ずっと同じこと書いてますけど。
私は憎悪を抱えてますし、怨念はずっとありますし、我慢をずっとしてます。
返す刀で反応して怒りを返すことが難しい という私の性質もありますけど。
ただ、ま、
どれだけ年齢を重ねられてしっかりしてるように見える人でも、どれだけあらゆる経験を学んだ人であったとしても、
“弱い部分” に触れるなどして、急激に怒りが露わになることもありますので。
私もその可能性はありますので、気を付けないといけないな とは思います。
その一方で、容易に勝手な価値観で怒りをぶつけてくる人やそれを許容する人たちは一体なんなんだ?? とも思ってますし、
そいつらを理由に使って、私も怒りを使うことは出来ます。
…前も書いてる。
が、やらないのは、芸がないとも言えるし、
私に出来ないから というのもありますし。
ご時世上、イレギュラーな日常 ですので、誰もが何かしらの不満や我慢を抱えていることであろうとは思いますが、
かといって、怒ったもん勝ち みたいになってしまうのもよくないもので。
……先に怒りをぶつけてきた人に言ってやりたくもありますが、あの人に自覚は無いので、怒りを発散してスッキリしてから冷静に説くだけでしょうけども…。
だからといって、他にも大変な人がいるから …などと言って、無理に抑え込むのもまた違うとも思っておりますので、やはり自分がどの程度我慢しているのか、怒っているのかを理解した上で、自分の感情をどう捉えておくのが、その感情をどうしておくのかが大切なのでは とは思いますけどね。
人にぶつけたらスッキリするでしょうけどね。
人にぶつけてる人はわかってないでしょうけど。
わかっててやってるとしたら相当な悪人ですけど。
その悪を赦してる人はとても寛大ですね??
……と、皮肉を相変わらず何度も何度も書いてしまうほどに私も憎悪は抱えてしまってますが、それを安易に表出しないよう、こういうところで1人で勝手にクダを巻いていればマシなんじゃないでしょうかね。