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普段怒らない方も怒ってますよね、ここ数日。怒り吐き出さんと我慢したらろくなことないですよ。近しい大事な人にあたったりしてしまいますから。怒ったら吐き出した方が良い。そしたら怒らせた側は「うわ、怒らはった!」て吃驚して、それからやっとなんで怒ったんか考えはりますねん。
— 山内圭哉 (@yamauchi_takaya) 2020年2月29日
おそらく新型絡みでのツイートだと思うんですけど、まぁ 書いてることは正しいんでしょうけど、怒り慣れた人はすぐに怒りを露わにされますので、ビックリさせて相手に『何故 怒ったか』を考えさせるのは、とても難儀です。
怒るなら適度に怒りたい。溜め込みすぎてもロクなことがないのは確かだ。あまり出さないでいると、感情の出し方だって忘れてしまう。でも、怒り慣れたくもない。怒りの放出は自分の精神衛生のためには良いが、周りが苦労するんだよね。
— クレイジー・ニンパイ (@shinobuk) 2020年3月1日
怒りたい時にすぐ怒る。嫌味を言おうと思ったらすぐに言える。その通りの良さは聡明さだろうし、場合によっては魅力たり得る。だが、程度の過ぎたその性質は、人としてはクソでもある。
— クレイジー・ニンパイ (@shinobuk) 2020年3月1日
こういうのは、溜め込みすぎる人への処方としての話としてなら聞けるわけだし。
— クレイジー・ニンパイ (@shinobuk) 2020年3月1日
その通りだと思います。
人に嫌な気持ちを抱いて思うのは、相手に徳の高い人格を期待してたからこうなったのだなということ。相手の言うことに「性格悪っ」「クソみたいなこと言ってんな」といった気持ちで処理できるといい。
— クレイジー・ニンパイ (@shinobuk) 2020年3月1日
前にも書いたが、相手が嫌なことを言ったことで苦しむ必要はなく、そりゃ全部相手の問題でしかない。相手の徳が下がっただけで、聞いてるこちらの徳は下がってない。何一つ影響はない。
— クレイジー・ニンパイ (@shinobuk) 2020年3月1日
我々は、人生の空気が汚れるのが嫌で、相手が吐き散らかした毒を、こちらが解毒しようと頑張ってしまう。その時に傷つく。でもそれはこちらの問題ではなかったのだ。救い上げなくてもいい。何もしなくていい。きちんと見捨てて、軽蔑すること。
— クレイジー・ニンパイ (@shinobuk) 2020年3月1日
「軽蔑すること」
息を吸って吐くように悪口やら陰口やら言う人もいますけど、それを、
「そういう人だから(だからしょうがないから受け容れてくれ)」
というのは論外で。
そういう人なら関わらないだけです。
拒絶するだけです。
自分が感情的になっているか否かが分からないのではなく、感情的になっていることで、自分が明晰に、力強くなったと思い込んでいる人が、無限に近いほど多い。それは完全に誤解である。ただ扇動され易く、一方で相手の話を謙虚に聞けなくなっているだけだ。つまり自己愛という檻に閉じ込められたのだ。
— 名越康文 (@nakoshiyasufumi) 2020年2月27日
この国の怒りの90%以上は依存性の発露である気がする。特に言説上の怒りに、その傾向を強く感じる。怒りの内容より、その怒りが微妙に他罰的、つまりおねだり的な臭いがあれば、それはむしろインテリゲンチャ枠とみなされ、個々に自活している大衆は目もくれない。とても伝統的、東洋的な振る舞いだ。
— 名越康文 (@nakoshiyasufumi) 2020年2月27日
私はあまり怒らない、否、怒れないタチなのですが、それは前も書きましたが、私よりも怒り慣れた人には敵わないからです。
怒り慣れた人は他者を慮ることなくスッキリしたいが為にぶつけてこられますので。
ただ、私の中に怒りが溜まってるのは事実ですので、それをぶつけないように、
勝手に呪ったり怨んだり、
ヒトカラして発散してるので、
怒りを他人にぶつけてくる人よりかは健康的に対処出来てるのではないかと自負しております。