藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“復讐心と生産性”

 

 

 

 

 

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前に職場のご婦人方が、共通の知ってる人を指して、
「あの人、小学生の頃にいじめてきた人のことを未だに覚えてるんですって」
…なんて話をしていたんですが、
ま、私自身もネチネチしてるので覚えてますけどね。

あるあるな話ですけど、いじめた人はいじめたことなんて忘れてるし、いじめられた方はずっと覚えてる って言いますものね。
その人が何気なくやった加虐行為なんてそりゃ忘れてますもの。何気ないですからね。

「差別なんてしたことない」とか、
「私の周りには差別なんてない」というのは自分の価値観が絶対であるがゆえに、無自覚に差別していることにすら気付いてない場合もありますからね。
会話の中で「だって~ ~じゃないの」とかを ふ つ う に使ってると当人は気付かないですから。


で、
自分が受けたことばかり気にして、自分がしたことによって復讐される側だと気付いてないでしょ? って視点についてですけど、勿論それも考えてますけどね。
つか、自分があのときああいうことしてしまったから、いつかしっぺ返しが来るんだろうな ってことに脅えてるのはあります。
それ も あります。

けど、
なんでも主観でいいのなら? 私を一方的に苦しめたそいつみたいなことをやっていいとするのなら、
私が感じた苦痛が確実に私の気持ちとしてあって、そこに対する無理解があって、復讐したい と思う気持ちが私の気持ちとして存在する事実くらいが認めてもいいでしょ?
とは思います。


で、
ですけど、

それでも、よく使われる言葉としての『復讐はなにも生まないよ』の言葉の意味は重々わかってるし、とても不毛なことだとも理解しているので、なるべく前向きに生きたいとは思ってるし、ガチの復讐は本当に人生がどうにもならなくなったときに “とっておく” ことにしておきたいので、
なるべく健全に、前向きに生きることを努めて善処したい次第です。