藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“惆悵”

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さんざん、繰り返し怨念について、呪いについて書いてるワケですが、不毛です。
一方の視点から他方を一方的に批難するなど、意味が無い。
ましてその批難を直接当人にぶつけるのだ。
負の感情のカタマリを他人にぶつける、勝手な都合で。



で、

負の感情のカタマリをぶつけたきた人を私は未だに許せない。赦せない。
仮に謝ってきてもたぶん無理。
 
…なんだけど、そのときの被害者意識を加害に、加虐に 使 い た い って気持ちがあるのも事実で。
これがあれば、この被害者感情があれば、私はいつまでも『弱者』で、私に攻撃してきたアイツと同じような動機で、似たような感情を重ねて、私は加虐をすることが出来る。


けど、ふとしたときに、折に触れて、別の事象から過去に受けた傷が疼くこともある。
そうやって疼くたびに、思い出してしまうたびに呪詛と怨念の感情が支配する。

主観的な観点が大事なのであれば、何をどのように思い、人を攻撃するのもアリなのでしょう?
とか、
そいつは悪いコトをしたのだから、針の筵にして構わない、そいつは石を投げても良い対象なのだ と、そう判断して良いのでしょう?
と、
その考えを持ったまま、他方の視点を持たず、罪悪感も無い人もいる。


でもそれは、
私に攻撃してきた人と同じ行為をそっくりそのまま別の人に “お返し” するだけなので、何が悪いのか と。


何故わざわざ身を挺して、怨恨の無差別連鎖の防波堤に自らなってあげなければいけないのだろうか。
と。

自分たちがどのような価値観を基幹に、どのような感情を抱き、それを他人に言動というカタチで転化させているか というのを自問もしないで?



……って思う自分、ほんとイヤになりますよね。

何度も書いてるつか、前も書いてるだろうけどさ。
近くのご婦人が、
「あの人、小学校のときにいじめてきた同級生の名前とか未だに覚えてるんですって」
なんて話してたことがありますけど、
私だって覚えてますからね。

上記に張った記事のように、気に喰わない人に直接リプライ送ったり、実名を挙げて多くの人が見る場で批難や中傷を書くなんてことはしませんよ。
ま、記事に挙げられてる件は勝手ないいがかりですが。
私は実際やられたことを なんですけど。
そんなことしても何の意味も無い。
けど、呪詛や怨念が私の中で渦巻く。

私は、私が受けた理不尽を覚えてますから。
 ず っ と 。
一時期近くにいた、名前と顔を覚えてる その人から受けたこと、
名前の知らない人から受けたことでも、その言動は ず っ と 覚えてますから。
顔を思い出せる人に対しては、思い浮かべてしまっては呪うばかり。

思い浮かべてしまう私をも呪う。
こんなことじゃいけない。
こんなことはいけない。


そんなことより楽しいことを、と思いながらも、乾いた感情で虚無を重ねる。

けど、囚われててもいけない。

これはただの感情の吐露。
未だに過去の傷に支配されながらも、未だに他人に脅えながらも、
実際に攻撃的な感情をぶつけているヤツらより私はマシだ と思いながら、
私の感情の平穏に努める。