復讐は何も生み出さないけどスッキリする!ってのは真理だしそうじゃなきゃ2020年の令和の今も忠臣蔵再放送してないんだよな…
— 774@う125-し89 (@na74) 2020年12月31日
復讐をしたいという思いが断ち切れない|しいたけ. #note https://t.co/Oz0Oq0lvHf
— 藤麻無有彌 (@tohma6u3) 2020年12月24日
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素晴らしかったです。
復讐心を肯定する。
積年の恨み みたいのは氷解しませんからね。
いつまでも声のデカいヤツが支配し、それに縛られる。
色んなところでね、そんな復讐心に囚われるなんて損だよ って言われてますけどね。
そんなことは分かってるんですよ。
そりゃあ囚われたくないですよ。
ですけど、思い出してしまったりするんですよ。
で、
『呪い』についてもずっと書いてるけど、そういうのも私が囚われてることで、私が呪われてしまってるようなもので、そういったものから解き放つ必要があるんですよ。
だし、
ガチで『呪い』はヤバい とも思ってるので絶対に手を出してはいけないし、そういった想念自体を抱えてしまってる現状の よくなさ も分かってる。
分かってる。
「復讐をしたい!!」
「呪い殺したい!!!」
…という、意識を持っていることを自覚している上で、絶対にやらない覚悟。
本当に『それ』に手を出すときは、本当に私がヤバいときだけ。
本当に一切を投げうつ覚悟があるときだけ、だ。
私が受けたこれまでの傷は消えないし、傷つけたヤツらを許すつもりは無いけれど、
容易に復讐してしまうことでヤツらと同じところへ堕ちるというのは癪だ というのもある。
で、
勿論、私も容易に傷つけてしまったことがあるだろう。
絶対に許さない と思ってる人もいるだろう。
どれだけ全方向に配慮を考えても行き届かないこともあるし、
私の気分次第で気軽に粗暴を振る舞ってしまったこともあっただろう。
だから一方では語れないけど、主体的な、主観的な感覚は尊重する。
許せない気持ちはある。
許されない行いはある。
ただ、それを一時の気持ちの問題で反射的に感情的にぶつけて済ませない。
復讐を成し遂げることが復讐ではない。
自分がそいつより幸せに生きることが復讐だなんて綺麗なことも言えない。
絶対復讐してやるからな と思いながらも、絶対にそれを相手へ行使しないで、
強さも弱さも誇りも醜さも矮小さも肯定した自分を生きていくことが復讐。
…というのも一つの視点かな。と。