藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“「ただ誰かに助けてほしかった。」”

昨日の記事からのこの流れよ、

 

 

上のツイートの元が下のやつ らしい。

 

だいたい怨念はうまくいかなかったこととか、虐げられてきたことの積み重ね。
『わかってもらえなかった』ことの積み重ね。

高名な人も、社会の仕組みも、誰も助けてくれないのならそれに至った全てを憎み、地獄の果てまで と。

 

で、

 

 

 

(1ヶ月前のツイートを引っ張ってきてるけど、このツイそれぞれ関連してたっけ…(忘れてます))



助けをどう求めるかが分からないとどうしていいか分からないし、
助けを求めやすい環境かどうかにもよるし、
助けを求めることが迷惑に感じるのではと思って躊躇ってしまったり、

助けを求めても裏切られた経験があったり、厳しい環境下に居過ぎて助けを求める気持ちすらも憚れてしまったり。


うまくいかないことがあると、これまでうまくいかなかったことが顔を出すのよ。
あぁ、また だ。
またダメだった。
何がダメだったんだ。
どうせ私はダメなんだ。
死のう、殺そう、…って『無敵の人』ぶりを発揮したくなりますもの。



私もまぁ助けられたいですよ? 救われたいですよ?
何から救われたい? っていうとそれは自分でよくわかってないところもあるんですけど。

不自由な感じというか…、いつまでも人に脅えてしまう感覚とか、そういうのから救われたいですね。
あと収入面ですね。一般的な年齢と所得の関係から考えて私はそこにとても劣るので。

頑張っても頑張っても報われないで疲れるばかりですからね。
そんなに頑張らなくてもいい って言う人もいますけど、自分を棚に上げて怒る人がいますからね。怒り慣れた人から感情をぶつけられてね。
…そういうのから自由になりたいですね。

人に脅えて自分に鞭打って頑張って、それでも収入に結び付かずに報われない。
……そんな状況から助けられたいですね。


ずっと人に脅えているからそれ以上に好転することを望む気になれないというか。
人を信じるとか信じないとかじゃなくて、危害を加えない人かどうか という点ですよね。信じる信じない以前の問題です。
だから誰かに助けてほしい と思っても、助けを求めたいと思いにくいんですよね。


なんというかもっと人に安心したいですね。
人は安心できるものだと思いたいですね。

挫かれた思いがあり過ぎて、復讐や怨念が強くなってますけど、私はただ穏やかに過ごしたかった。
それだけだったんですよ。