誰かをふと傷つけた罪悪感に苛まれるくらいなら、いっそ自分に罰が当たった方がいい?
自分に罰が当たるのは当然として、
因果として、
報いとして、
生きていること自体が “罪” だ。
誰かを穢して、誰かに迷惑をかける。
存在事態が害悪だ。
自分の存在事態がウィルスだ。
誰かほかの生きている対象に寄生しながら生きていく。
責任も何もあったものじゃない。
誰かが殴ってくること、
誰かが罵倒してくること、潰そうとしてくること。
当然なのでしょう。
生まれてしまったことが間違いだ。
自尊心なんて持ってる方がダメだ。
忌み子。
早く死なせておくべきだったのか
それともわざと生き長らえておいて苦しみ続ける “罰” を享受し続けることが運命か。
それが仕組みか、宿命か。
繰り返される苦しみこそが待ち望まれた祝福か
殺されることを嘱望するなんて、楽を選ぼうとするな。
苦痛を、恍惚の地獄(現世)の中で出逢い続ける。