安心は要らない。必要なのは安全だけ。これは11年震災のときから言っている。事実に基づかない「安心」を要求するから隠蔽、ごまかし、矮小化が生じる。皮肉にもそれが原因で陰謀論やパニックが起きる。寝た子は起こせ。目をあけて事実を直視しろ。大事なのは事実に基づく安全だけ。よって情報公開を
— 岩田健太郎 Kentaro Iwata (@georgebest1969) 2020年4月15日
危険なほうが安心する っていうのもあるもんな。
知らない顔の専門家が話してることよりも、顔を知ってるコメンテーターが専門知識のないこと話してるほうが安心するもんね。共感するし。
難しいこと言っててもよくわかんないから、庶民的な意見()で、自分を安心させてくれること言ってくれたほうがいいもんな。
普段通りを重ねることが危険であっても、習慣を繰り返した方がルーティンで安心することもあるもんな。
築何十年の家はいつ地震で崩れるか分からない危険は伴うけど、長年住んだ / 慣れ親しんだ家の方が安心するから建て変えてほしくないもんな。
望めば得られるであろう安全を放棄して、安心したい為に、安心を自分に与えてくれるものを選んでしまいがち。
今、安全に暮らせる環境は、昔の苦しい時期からどうにかして得たものだから、かつて安全を与えてくれたものに、今も尚 安心を求め続けてしまう。
求める平穏は、どの感情を強く思うのだろう。