勝手に感情をさんざんぶつけられたんだ、
勝手に怨念と憎悪を抱くくらい許してよ。
勿論、いつまでも怨念や憎悪の念を渦巻かせているだなんてよくない。
よくないことはわかってる。
重々承知。
だけど、
いつまでもまた怨念を渦巻かせているだなんて “ダメだ” なんて自分を責めてしまったり、
怨念があるのにそれを押し殺して、たとえば無理矢理 感謝の気持ちに転換しようとか、もっと建設的な感情に置き換えようとか、そういうのは私の気持ちに嘘をついてることになってやしないか??
しょうがない。
勝手に怨んだり憎んだりしますよ。
だけど、それをぶつけてないんだからマシでしょ?
過去に私に感情をぶつかてきた人は、
「だって○○じゃないか」
「○○のクセに」
と、私がしたことではないことを 勝手にご自身の過去に刻まれたであろう観念に紐付けて 感情をぶつけてきたワケですから。
だったら、それをぶつけてない私、全然健全じゃないすか??
表面上は普通に取り繕って 合わせることがうまいですからね 私。
どれだけハラワタが煮えくり返ろうとも、一切出さない。
ただ、ひたすらに私の内面では憎悪が渦巻く。
あなたは勝手に感情をぶつけて 私の感情を害したんだ。
だから私が勝手に怨念を抱くのも自由。
怨み言だって私は口に出してないもの。
怨念を抱くくらい許してほしいわ。
大丈夫、それがいけないことくらいよくわかってる。
けど過去に受けた傷が疼く度に こわばりは起き、怨念に想起する。
…そんなときもある。
憎悪や怨念に囚われている私はある。
それは ある ものだ。
今の私はそれを否定できない。
観念は自由でしょう? 他者を侵すことなければ。