藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『わかってほしか_____…』”

「わかってほしい」が溢れてる。
前も書いたけど。

でも、私は自分の気持ちが、感情が、わかってもらえてるとは到底思えない。
で、
ちょっと前に千秋のこの記事を読んで、

natalie.mu

共感って必要なのかな?
言うことや考え方に賛同してほしいのかな?



私は割と視点を相手側からも見てしまうのが半分クセみたいにもなってしまってるので、自分で言うのもなんですけど、割と共感力は高い自信はあるんですよ。

理解できる話には「わかるー」って思うし。
ただ、関心のない話には分からない って思うけどね。当たり前ですけど。





で、
相手側が仮に何か粗暴な言い方をしてきたとき、私は私の中に原因を探してしまうんですよ。

仮に、俯瞰で第三者視点で見たときに、私に一切非が無かったとしても、

先に 相手のことを知ろうと意識してしまってるからか。先に 相手の為に心を向けてしまうからか。
だからそういうときの相手側をわかろうとすると、『仰る通り』で、私は実にクソでダメでゴミでクズなんですね。と自覚させられてしまう。

先に、相手の為に心を割(さ)くから。心を裂(さ)くから。


コミュニケーションの本質は話すことではなく “聞く” こと って言いますからね。
だから聞くことは大事だな って思ってるんですよ。

思ってたんですよ。



けど、あまりにもしんどい。ツラい。


私はこんなに他人に心を割いているのに。
わかろうとしてるのに、わかってほしいばかりぶつけてくる。
ぶつけてくる。

私のことをわかろうともしないクセに……。



………って思いがあると、私も誰かに分かってほしかった って気持ちが残ってるのかなー? って思うんですけど、たぶん無理なんじゃないか って思ってて。



どんな人格者だと世間で言われてようが、肩書きが立派だろうが、カウンセラーだろうが、私を誰もわかってくれないんじゃないか って絶望感はありますね。


「こうした方がいいよ」
「ああしたほうがいいよ」
とか、アドバイスとか、
「これこれ、こういうしんどいことがあったんだ~…」
って話したときに、
「そうなんだー、私もさぁ、こういうことがあってねぇ~」って自分が話したあとに相手が自分の話をしてくるのを聞くのがめんどい。


で、
そうしたときに、私にも同じくクソアドバイスしたりとか、相手の話を聞いたあとに自分の話をしたことがなかったか?? などと考えて、自分にも刃先を向けてしまったり。



って思うので、もう他人に心を開くとか 無理なのでは… と。
私の中に『わかってほしい』気持ちが無い のかと言うときっと嘘。たぶん嘘。
だけど、きっとわかってくれないであろう落胆が なんとなく予想出来てしまってると、
もういいや って思う。

もう、いい。


なるべく、自分で自分をわかってあげることくらいはしていきたい。


「自分に正直に!」って、今流してるテレビから聞こえてきたわ。