藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“風化する記憶。”

この時期になると、
“大変だった出来事を風化させてはいけない。”
“この経験を後世に伝えなければ。”
……ってやってて。

なんだけど、友人が、
『つらい記憶が風化するくらい良い思い出が増えたらいいんじゃないの』
みたいなツイートをしてて。


彗眼じゃね…?


どうしてもつらい記憶が忘れられないならさておき、つらいことはあったけど、それを思い出す機会が自然と減っていって楽しい思い出が増えていったらいいよね。


遭った出来事に対しての対策は 社会的には進めてほしいな って思うけど。
無理につらい記憶をわざわざ留めようとしなくていいわな。

 

 

なんかね、テレビで被害に遭った建物を残すかどうかみたいなことやってて、それがあることで後世に伝えていく教訓としていく ってやってたんだけど。

 

個人的にはね、自宅近くで火事があった経験あるんだけど、そういうの残っててほしくないの。

当事者個人の記憶はそんなに風化しないの。

あのとき野次馬に来てた人たちは風化してるだろうけど。

 

あのとき怖い経験をした 私の記憶はそんな簡単に風化しない。

 

 

でね、怖い思いしてない人に、

「こういう怖いことがあったんだ」

って伝えても ふーん だと思うし、また逆に、恐怖で人を縛るみたいな考えも微妙だな って思うから。

わざわざ善意で恐怖を語り継がなくてもいいとかもね って。

 

 

 語り継いでも 分からない人には分からないだろうし。



 

 

ところでさ、Googleマップ見てて、ストリートビューをこの前見ててさ、

何年か前の画像が残ってるの。近くの家の健在っぷりも見たのよ。

なんつーか 寂寥感?

別に不慮の出来事でなくても、ただの建物の取り壊しで 新築のビルが建つ ってだけでも、元あった建物って忘れるやんね。

 

そういうとき 記憶は風化してて、また新しい建物を歩いてて眺めていくのよ。

 

でも あのときの怖かった体験 ってボロボロの建物がなくなっても怖い記憶はあるの。

 

だから対策は対策でしながらも、怖さはなかなか消えないけど、楽しい思い出が自然に増えたらいいな って思う。