自己肯定感がクソだから、他者評価を求めがちにもなるんだけど、
それはさておき、
他者評価を重荷に感じて敢えて逆方向に ダメな方の自分を表出してみたりなどするんだけど …他人が認めてくれる肯定部分も私にはあるんでしょうけど、いやいやクソみたいな部分もあるんですよ と、そこを主張したい気持ちになるコトもあるんですよ。
なんでわざわざ逆の方を主張したくなるねんと。
謙遜の美徳みたいだけどさ。
まぁ そうやってひねくれたりするんすよ。
せやけど、そうやってひねくれ(謙遜)を主張しながらも、周りは肯定をくれるときもある。
否定が寄越されたときには「イヤだ」と言いながらも心では “否定” を深く刻んでしまってるのに。
だいたい自分の見たいもの/聞きたいものしか、見ない/聞かないので、自己肯定感が貧弱になってるときには、敢えて否定しまくってみることもしつつ(つか、肯定感が落ちてるから自然とそういう言葉を思い出し続けるだろうし)、
否定材料をもう自分からも過去の周りからも持ってくるコトが出来なくなったら、肯定材料を使ってみる っつーか。
信じたい自分の為に他人の言葉を利用する。
利用つか、入れる情報自分で選んでるんやし。
「だってね、あの人が言ってたんだもん!!」
って。私のために。駄々こねて、バタバタ手を足を。
本当は振り払いたい『否定』と、主張したい『肯定』を。
(ってゆーか、こうしてブログでもツイッターでも、引用してきた誰かの言葉であっても “私” を形作るものになってるわな。当たり前やな。)