その存在に意味付けをするのは自分でもあって他人でもあるワケなんですけど、自分で自分のコトを不要だ無能だ無用の長物だなどと卑下し蔑んでいたとしてもそんなコトは下らない自己嫌悪・自己憐憫に過ぎなくて、それは、そんな自分であっても関わってくれている他人すらも巻き込んで貶めているんじゃあないかと思うのだけど、そしたら今度は過去に自分を貶めたりけなしたり馬鹿にしたヤツを汎用例に使って現在に持ち込んで否定しようと言うのかと。
謙遜もされ過ぎると傲慢ですよと。
所詮は主観でしかないし、心の中で誰か自分より劣るやつを見つけて見下してる側面もそりゃあ私にもあるワケなんですけど、だからといって見下してる無能なそいつがクソみたいな不幸な人生歩んでるかっつったらそれは分かんないもんでさ。
つか、いちいちそういう見下すことで優位性を確保しようとする私の方がクソ of クソだなとも思うんで。
ってだからってまた逆に自分より出来てるヤツに対して勝手に落ち込んだりして劣等感感じたりしてさ。
私より年下ですごい人だってこんなに大変なんだなとか、いやそれ何を慰める為に他人を持ってくるんだよ とか思ったり。
全てが乱反射する鏡のようなリアルの現実。角度を変えて転がし続けて見る世界を変える万華鏡のような。
見るのは私。角度や見方を変えるのも私なので。幾何学模様を自由に堪能出来ればそれでいいじゃないか。と。