藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 46 : 『○○の支配者』”

[外部リンク] : 『「人生の時間配分」 = 「どう生きるか」』(Chikirinの日記 for DU)

いきなり余談というか。

基本私は“人は物”。“命よりもカネのほうが重い”というスタンスです。
(ほんとうは否定したいけれど、この皮肉を肯定せざるを得ない、というのが本音。まで含めて。)

“カネ”の部分を“時間”に置き換えたらどうだろう、とふと思った。
(本来 書こうと思ってたこととは違うことをたった今思ったので。)

“時間”に置き換えた途端、そこに感情が乗るような気がしたんですよ。

“命よりも時間のほうが重い”
命の危なさも含めて、そのときの時間を、どう感じるか。他人だったら、命がもうどうしようも無いなら、自分がその時間をどう使うか、と。命の危機に瀕する前に、どう過ごすか。と。


なんでこんなにも『しないといけないことだらけ』なんだろうな。
もうね、仕事もお金稼ぐこと以外に、ちやほやされたいとか、こんなにも頑張ってる私すげー っていう他者評価ありきになってるのはあるよね。
いやいや、しんどいなら無理しなくていいいから。

さてここで、
じゃあ、「なんで私ばっかり頑張るのか」という問題に。
……見下したいんじゃね?

逆に言うなら、頼まれてもできない。出来ることを頼まれても出来ないと言うと、なんか批判というか否定というか私がキズつくことになるからとか?それから避けるために出来る自分を頑張って、出来ないヤツはクソだ、って言いたいんじゃないかな?(仮定)
というコトで結局他者が自尊心に絡むからでしょうね。

それに「なんで私ばっかが」ってなるけど、別にそれで“私”が斃れたとしても代わりくらいいくらでも居るんだからなんとかなるんでしょうに。

私がどこか無理してるのも、無理して人を見下してたいんじゃないの?

そりゃあ楽しくないわ。ゲスい。