藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“駄文 37”

[外部リンク] : 『「ネットで憂さ晴らしをしていた頃」の自分へ』(いつか電池がきれるまで)

最近、岡田斗司夫さんの『「いいひと」戦略』という本をチラッと読んだので(まだ途中)、そこに触れられていたコトにちょっと似てるのかなー、と思うこともあり。で、リンク先を取り上げさせて頂いたんですけど。

ブログはもとより、私のツイッターの方が最近ヒドイんですけど、ほんとにもう毒にまみれてるんですよね。これが大変まずいことに。
「死ね」「死ね」
書いてますからね。
勿論、
「死ぬ」「死ぬ」
言うコトも憚れるというか…当然好ましいものではありませんけどね。

こちらにしてみたら、当然ストレス発散なワケです。ただ見るほうとしてはイタイと思われたり、関わりたくない って思うでしょう。
こちらにしてみたら、私の現状の苦痛を理解してほしいワケです。私が大変なのをわかって欲しいんです。

…けど、分かってくれるハズも無いのです。
悲観的なことではなくて、理性的に当然です。

心情としてはですね、私がほんとうに辛かったときに誰も助けてくれなかった っていう欠落が未だに沈殿してるんですよ。自殺志願者掲示板に通ってた頃なんてまさにそうでしたから。
別にリアルな人の繋がりに助けられて、その掲示板から戻ってきたワケでは無いですし。その掲示板での関わりで、どうにか頑張ろうと思えただけで。

すごく身勝手かもしれないコトを書くとですね、
私ゃよく身の上相談的なコトを受けてきた自負があるのです。だからこそ、私も、リアルな繋がりのある人に分かって欲しい…! っていうエゴがあるのです。
その、身の上相談を受けてきたコトが、私自身を良く見させるためというエゴも含めて。

…けど、動機がエゴゆえなのか、別に悩んでることを身近な人が聞いてくれるハズもなく。
うーん、こうした書き方をすると身近な人の批判になってしまいそうで宜しくないんですけどね。


もう一つ、別の視点で。
私は、人が誰かの愚痴を言ってるのを聞くのがあまり好きじゃないです。
というか好奇心がそそられない人の話を聞くのが好きじゃない っていうか。
私がほんとうに、個人的に嫌いなら完全同意して話を聞きたいところですが、そうでない場合はあまり同意したくないんですよ。「それは大変だね」くらいにして、さ。

…はい、もうここで成り立たないよね。(笑)


問題なのは『“怒り”が溜まる』コトや、『発散方法に問題がある』ことだと思うので。
そこで良くないのが、喋るのが苦手な私が、不快だと感じたコトを、その場で不快だと表現せずに、モヤモヤを抱えたままにしてしまうコトで。そんで最近も職場で爆発したものです。
で、モヤモヤがネットに漏らしたくなる気持ちになってしまうので。

……『なんでその場で不快を表明できないのか?』ってコトに関しては、そら仕事ですからお察し下さい って感じなんですけど…。(苦笑)
あぁ、あれですよ。仕事でさんざん疲れて帰ってきた旦那とかが、帰ってみれば妻が『亭主元気で留守がいい』的なスタンスでため息と酒が溢れるようなものですかね。(これだと分かりやすいかな)
で、妻のほうも『私は家で色々あったのよ』と、『私は家事で毎日働いてるんだからね』とかね。


ああぁあぁ、もう、相容れない。ww


それで最近のこのネットメディアの普及でございますよ。プライベートなコトをだだ漏れにして、身近なストレスがネットに溢れる。ネット上で愚痴がはびこる。氾濫する。そしてまれに決壊する。w(←笑えません


あぁ、ここまで自分で書いてきて、身につまされるわぁ…。。。



そこでもう一つ。
自分が書くネット上での言葉とかは、分かって欲しい人に届かなかったりする一方で、全然意図しない人に伝わったりもするもので。それは良くも悪くも。

これは因果の法則的なものなのかもしれないけど(冒頭の岡田斗司夫さんの本にあった『贈与』的なコトに付随するかもしれませんけど)、自分が『与えた』人から『得られる』という相互関係は滅多にないんですね。
だから、Aさんに「これほど想いを込めたのに何故伝わらない…、何故レスが無い…」っていうことをAさんに怨念込めてしまうんじゃなくて、与えっぱなしの気持ちで。
もしかしたらBさんから何かの贈り物があるかもしれなくて。っていう。それがかつて自分がAさんにした『与える』だとは自覚しないかもしれないけど。
(与えっぱなし ってなかなか思えないんですよ。正直さ。)
(だから、“子育て”が、イコールで“老後の自分の面倒見要員”って考えられてしまうのも私はすっごくイヤに感じてしまうんですよね。論点がちょっと違うけど、こういうのが美談になりがちなのもすっごくイヤなの。餓死や心中のニュースもあるからさ。)



それは逆に悪意も同じように。
自分がかつてした悪意が、巡り巡って 全然違うほうから来たりね。

……っていうのがあるので、あまりネガティブなコトは表出しないように気をつけたいなー って思うものです。

“意外に他人は自分のことなんて見てない。”
…っていう一方で、
“意外に他人は自分のことを見ている”
……っていう、両方がね。や、ホントマジでさ。あるのでね。



…こういうコト書いても、現実での私のストレスが消えるとは限りませんけどw
耐えて健康を害することが素晴らしいなんて思いませんけど、うまく緩和させたいものです。

(というこのエントリを書きながら、私がキレてたときに気を遣ってしまわせた方から頂いたお菓子を食べながら。(苦笑) ほんとすいません。)