『個性は何かと自分らしさに悩む。』
「いやいや、誰にだって個性なんていうのはありますよ。」
「あぁ〜、はいはい、それも個性のうちですからね、認めてあげないといけませんよ。」
非凡であるものを平凡のさじかげんで測ることができず、非凡は非凡の中で平凡に埋没する。
捉えきれない・咀嚼できない例外を 受け容れることが出来ず、可能な単語で“理解”を“表明する”。
元来備わっているもの、とする個性というものは 当人は気付かない。それが個性だと思っていても、誰かから肯定的な認証を得ないと嬉しくない。
そこで、自分らしいふるまい って何だろう。と、求められる自分というものが自分だと思ってそれを演じる。
また逆に他人から求められてるのは、「他人ウケがいい自分」だとしてそれは自分では無いとする。人の好意をどこか皮肉って行う物事のほうが自分らしい。
さぁ、あなたの個性は役に立つのだろうか?
役に立たない個性は迷惑なものなのだろうか?
生まれてから自然とおそいかかる、性別、年齢、病気という個性との出合い。
それらの個性を“自分”は凌駕できるだろうか。
自分らしさを 個性を礎にして発揮することに 留まることなく。
主観と客観が呼称を入れ替えて 肯定を模索してゆく。
ゆく。