藤麻無有彌の日記:||

藤麻無有彌(とーま・むゆみ)がダラダラしています。

“『助けたくなる存在でいなさい』”

 

 

 

(↑ 元ツイは連ツイです。抜粋してます。)

tohma666.hatenablog.com

 

かわいそうな人だったら助けるのかな。
頑張ってる人だったら助けるのかな。
好きな感じの人だったら助けるのかな。
何か見返りがありそうだから助けようかな。
いい人と思われたいから助けようかな。

なんかキモイしくさいから関わるのやめとこうかな。
関わると面倒ごとに巻き込まれそうだから助けるのやめとこ。
大丈夫だよ本当に大変だったら119とか110がなんとかするでしょ。



まだまだ助けなんて差し伸べたらアカン。助けないのはアイツの為や。
もっと努力せい。
自助だよ。
もっと頑張れるはずや。もっと努力できるはずや。
大丈夫や、あなたには資質がある。(知らんけど)


いつも怠惰なクセに困ったときばっか助けてとか言う …そんなやつなんて助けるワケねぇだろ。
(何を見て怠惰だと判断してるかは知らんけど)

せめて、ちゃんとやることやってから助けを求めなさい。(普段どうしているかなんて知らんけど)

助けてほしいなら助けを提供するのに見合った態度を示しなさいよ。













(ま、元ツイの方は『精神科医療機関』での話なので、尚更の違和感だったことでしょうけども)



けど、きっと、
私が『助ける立場』だったら、助ける人を 取捨選択するのでは? というのはありえる話ですね。トロッコ問題? というのとは違うかもですけど。
肩入れしたくなる価値観や立場 というのもあるし。


残酷で無慈悲なことを無自覚に行うおそれがある …ということを分かっておく くらいのことですよ。

“自分らしさとストレス。”

 

私もずっと思ってることです。

誰かが自分らしく生きてるのは、他の人に我慢を強いているからでは?
誰かの我慢のお陰で、誰かがストレスを蓄積してくれてるお陰で、自身の傲慢がまかり通っているのでは と。


自身の自分らしさと、相手の自分らしさが衝突したときに、どこを妥協するんですかね。どこを許す んですかね。
前提として、対等な間柄でないと、立場を考えて押したり引いたりしてしまいますものね。



とはいえ、『自分らしさ』というものが、常に傲慢に我儘に欲を振りかざすような言動でも無いとは思いますけどね。
弱さを隠す為に、虚 勢 を 張 り た い と い う 意 思 を表明する っていう “らしさ” を 使 う 人もいると思いますので。


何が『自分らしさ』なのか というものを、理解してる人がどれほどみえるかは分かりませんので。


たとえば、「私は言い方がキツいからさー」っていう人、
もともとキツかったんですかね。もともと っていつからですかね。
で、言い方がキツくて相手に不快を与えてる可能性があるとして、それでも尚 改めないのは、自分らしさを維持したい という意思の顕れですかね。


…と、私の主観で否定的な言い方をしていますが、
私自身はあまり積極的に話さないのが『自分らしさ』(?)で。
じゃあ何故話さないのか というと、話しても無駄だと思わせられることばかり直面したから なのですが、でもそれも、
直面した事実に対して、私がフォーカスしているから、フォーカスしたい意思の顕れですよね? その意思を使いたいからですよね? と問われると 返す言葉もないです。

私が『自分らしさ』という “沈黙” を貫いてることで、誰かにストレスを与えている可能性があることも否めません。


自分らしさ は 造ってる とも言えます。
だから自分自身に対しても、どこかでストレスを感じているのかもしれませんが、


……ま、多くの人はそこまで意識してないと思うし、私もそこまで考えてないし、
なんていうか
まぁ
『自分が誰かの迷惑を被ってる ってことは、自分も誰かにとって迷惑な存在になってるのでは』くらいには思ってますが。

“はてな今週のお題「下書き供養」”

今週のお題「下書き供養」

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1年前とかのやつがあるんですけど…。


「下書き供養」と言いましてもね、こんな感じで残ったままになってますし、今こうして見てみても、一部表現を変えて既に書いてることもありますし。
……もともと同じことばっか書いてる ってのもありますし。

それに書いてから時間を経ってから公開してる記事が大半ですので、そうしているうちに、ま いっか ってなってるやつもありますし。

上記も、『下書き』に残ってるうちの一部ですし。


今んとこ毎日更新されてるので(過去に書いたものが1日ずつ勝手にupされている状態にしているので)、そのネタがなくなったときに『供養』するときがくるかもしれませんね。


ストックしながらのブログ更新なので、書いたときの勢いなどは失われているので、更新されたときにはそれなりに客観視して私も読めるものなんじゃないですかね。
(投げ気味)

“「私だってママ欲しい。」”

anond.hatelabo.jp

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私だって諦めてるからお前も諦めろよ 的な。


私だって我慢してるんだからお前も我慢しろよ 的な。


主は非モテ女性だそうですけど、「私だってママ欲しい。」って部分に本音があるような気がして。


実際に、人に詰め寄ったり 求めたりするようなことは別として、

自分をまるごと受け容れて認めてくれる人とか、
自分の全てを肯定してくれる人とか、
身の回りのことを全部やってくれる人とか、
…そういう人が欲しい って気持ちはあるでしょ??

私は欲しい気持ちがありますよ。
ただ、それを求めることがあまりにも自己中心的過ぎて傷つける可能性があることは分かってるので、実際に求めることはしませんけど、欲しい気持ちはあります。

性的な意味で欲しい ってのもあるし。


で、
女にとっての男性のママが欲しい ってのもあるよね。
ついさっき、二次の男のキャラに向けての「ママ」って呼称してたやつを見たんだけど。
自分を受け止めてまるごと愛してくれるママみたいな男も欲しいよね。
身の回りのこともやってくれたり、話を聞いてくれて全肯定してくれるような。

勿論、女にとって、女性のママが欲しい ってのもあるわね。
同性だからこそ という意味での「わかってくれる」感もあるし。
甘えたい気持ちもあるし。
それこそ年齢を重ねたら「ママ」の気持ちが分かるからこその、甘えたい気持ちもあるだろうし。



…ま、実際に育った家庭環境次第では、そういう役割を担っている存在に対する嫌悪感を持つ人もいるので当然 一概には言えないけど。



少なくとも、元記事を書いた人には、甘えたい気持ちがあるんだろうな とは思います。



まー、あれですよ、
何度も言ってることですけど、いい大人が大きな声で 自分の勝手な固定観念に基づく正しさを使って相手に言うことを聞かせようとしたりすることも『駄々』ですからね。
「だって」「だって」と自分のことを言いたがるのは子供のような気持ちの顕れですもの。



そういう幼稚さ、あるじゃないですか。

私にはありますよ。
言わないですよ? 状況を弁えてるので。
でも、私の中に幼稚な気持ちはあります。

この人にもあるし、
幼稚な部分を持ってる人、普通にいると思いますよ。

でも、それでいいじゃないの って思うので。
それを責めにしたり、誰かに強く求めたり、加虐しなければ。




どうせ誰も分かってくれない とか、死ぬときは1人とか、

 

そういう気持ちも根強いですよ私は。
誰からも理解されない孤独感とか、すっごい深いです。
人間関係自体の煩わしさとか すっごいある。

『心』があるワケが無いとか、
誰かから理解を得られるワケがないとか、
困ったときに助けてくれる人なんていないとか、
誰も助けてくれる人はいない とか、
私の本当の悩みをちゃんと聞いてくれるような人なんて いない って思ってる。

その一方で、私の気持ちの中では、
私を全肯定してくれる認めてくれる褒めてくれる「ママ」がほしい ってのもあります。



どうせわかってくれない / 私は圧倒的に孤独 って気持ちがめちゃくちゃ根深いがゆえに、全てを受容してくれる存在を欲してるんだろうな と。


そういうことを自分の中でわかってる上で、私の気持ちの中で折り合いを少しずつ付けてみたり、諦めながらも欲しい気持ちをしっかり自分に表明しておけばいいと思うんですけどね。
欲しい気持ちがあること自体を自覚してるだけでも。

“読みたいものを書く。”

よく忘れるんですよ。

“読みたいものを書きなさい。”

ってやつ。



どうしても吐き出し系になるので、書きたいものを書いてるので、読む側の視点を忘れるんですよ。
というか、読むほうのことを考えてないというかー…。

……、や、考えてないことも無いな、
どこか『復讐』めいたものがあるので、私に傷を付けてきたやつを呪い、葬ってやるからな っていう、読み手に向けて呪詛を振りまくような、そういう視点で書いてるのが強いですね。


ツイッターでも、私が書いてることとか、RTしてるやつは割と攻撃したい / 呪いたい意思があるものも含んでる感はあります。…勿論 そればっかじゃないですが。

逆に『いいね』してるやつは、読み返したりするような、いいな と思ってストックしておきたいものが多い傾向です。




…なんて言うのかな……、
たまにね、ちょっと疲れたときにスマホをひたすら触ってる時間があるんですよ。
無為にツイッターばかり見てたり、
なんかね、『欲しい言葉』を求めたりするんですよ。

自分を癒してくれる言葉とか人生訓とか金言とか、そういうのを求めて、そういう言葉をたくさん発信してくれそうなアカウントさんを巡ったりするんですよ。
そうして言葉を求めてるとき ってのが『読みたいもの』なんですよね。
『読みたいもの』を求めてるんですよ。
なんか励みになるような。

だからってね、botとかではダメなんですよ。
『誰々の偉大な言葉』~みたいなアカとか、宗教とかスピ寄りのものとかね。
いいことばっか言ってるアカウントは逆にイヤなんですよ(
逆にうさんくさい というか。なんかイヤ。



俗っぽさがありつつも、その中でふと気持ちが軽くなるような表現をしてるツイを求めてたりするんですよね。
言葉に限らず、絵とか写真でもいいんですけど。


だから私がツイッターでよく『いいね』してるようなことを表現していけばいいんじゃないかな って思います。
私の欲しいものは、誰かにとっての欲しいものである可能性もあるし。


けど、いいことばっかはイヤなので、うんこみたいなことも表現していくでしょうけどね。
はいはい。おっぱいおっぱい。まんこまんこ。

“これまでのあらゆる積み重ね”

 

 

 

そもそも私はそんなに『努力』をしてきたのかどうかは分からないところではあります。

何を以って『努力』とするか、
欲しい成果に結びつかなかったものが多々ある以上、『努力』が足りないのでは、と、
まだまだ途上に過ぎない と思うことはあります。


けど、色々頑張ってきたなー とは思ってます。


慣れないことをやってみたり、
新しい環境に踏み出してみたり、
痛い目に遭ったことも結構あります。

ただただ苦労したこともあります。


ほーんと、よくやってきたなー って思ってます。


私が私に厳し過ぎるんですよ。
『自分と戦いすぎる面』っていうのもあるみたいだし、
『完璧主義と反骨精神』ってのもあるからね。

自分の中で “こう” ってことが強くてそこを崩せないこともあるし。
“上” とか、自分と相容れない存在に「!?」ってなることもあるし。


いやぁ… ほんと色々頑張ってきてるよ。
私すごいな って思います。

なんか一部の成功者の中には
「自分のことをすごいなんて思ったことがない」
なんて言う人もいるみたいで、
それが頑張るモチベになる人もいるんでしょうけど、
私の場合は自己卑下しやすいし、ダメだとすぐ「死ぬ」とか言うので、
自分で頑張ってきたことをちゃんと認めて労っていきますね。

ま、単純に怠惰なところも自覚はしてるので、実際に努力が足りないこともあるのでしょうが。
無闇やたらに、欲しい成功に繋げようと躍起にならずに、やれることやっていって、ちゃんとやったことは自分で認めていきたいですね。