「自分はストレスがない!いつも発散して自分らしく生きてるから!」という人が、他人に対するストレス源になっている確率を答えよ。
— ニンパイ (@shinobuk) 2015年7月14日
私もずっと思ってることです。
誰かが自分らしく生きてるのは、他の人に我慢を強いているからでは?
誰かの我慢のお陰で、誰かがストレスを蓄積してくれてるお陰で、自身の傲慢がまかり通っているのでは と。
自身の自分らしさと、相手の自分らしさが衝突したときに、どこを妥協するんですかね。どこを許す んですかね。
前提として、対等な間柄でないと、立場を考えて押したり引いたりしてしまいますものね。
とはいえ、『自分らしさ』というものが、常に傲慢に我儘に欲を振りかざすような言動でも無いとは思いますけどね。
弱さを隠す為に、虚 勢 を 張 り た い と い う 意 思 を表明する っていう “らしさ” を 使 う 人もいると思いますので。
何が『自分らしさ』なのか というものを、理解してる人がどれほどみえるかは分かりませんので。
たとえば、「私は言い方がキツいからさー」っていう人、
もともとキツかったんですかね。もともと っていつからですかね。
で、言い方がキツくて相手に不快を与えてる可能性があるとして、それでも尚 改めないのは、自分らしさを維持したい という意思の顕れですかね。
…と、私の主観で否定的な言い方をしていますが、
私自身はあまり積極的に話さないのが『自分らしさ』(?)で。
じゃあ何故話さないのか というと、話しても無駄だと思わせられることばかり直面したから なのですが、でもそれも、
直面した事実に対して、私がフォーカスしているから、フォーカスしたい意思の顕れですよね? その意思を使いたいからですよね? と問われると 返す言葉もないです。
私が『自分らしさ』という “沈黙” を貫いてることで、誰かにストレスを与えている可能性があることも否めません。
自分らしさ は 造ってる とも言えます。
だから自分自身に対しても、どこかでストレスを感じているのかもしれませんが、
……ま、多くの人はそこまで意識してないと思うし、私もそこまで考えてないし、
なんていうか
まぁ
『自分が誰かの迷惑を被ってる ってことは、自分も誰かにとって迷惑な存在になってるのでは』くらいには思ってますが。